この事件以降、アメリカにおけるジャパン・バッシングが先鋭化し、アメリカの日本離れが強まるきっかけとなった。その一方で、1989年にベルリンの壁が崩れて、1991年にソ連が解体されると、アメリカ最大の仮想敵がなくなり、経済のグローバリズムが拡大しはじめた。

 アメリカが「知的財産」の主張を強めたのもまさにこの時期である。特許など知的財産を日本などにオープンにするという従来の態度を改めて、知的財産とウォール街などの資金を海外投資に振り向けて利益を上げる金融大国の道を歩み始める。

日本経済が長期停滞を
余儀なくされた根本原因

 冷戦終結後のグローバリズム下の世界では、マネーは国境を越える。アメリカの最大の投資先となったのが中国だった。

 中国は、民主化運動を弾圧した1989年6月4日の天安門事件から民主化の動きが止まり、中国共産党の人民支配が強化され、2000年までは経済成長が停滞した。だが、2003年以後は二桁成長の高度成長期に入る。

 中国の高成長を支えたのが、グローバル化による海外投資の集中だった。また、中国政府もその動きを受けて、外資呼び込みのために投資環境を整えインフラを整備して、新興国においては質が高い割に低賃金の労働者を提供することができた。

 グローバリズムの進化によって生産拠点が中国やASEANなどに散らばり、国際サプライチェーンが形成されていく一方で、日本と産業構造が近い韓国企業、のちに中国企業が台頭したことで、日本のシェアは奪われていった。

 日本も国内生産が割高になったため、グローバル化の波に乗らざるを得なかった。しかし、韓国は李明博政権下で徹底的な自由貿易化を断行し、さらにウォン安の恩恵を受けて、韓国企業が日本企業を圧倒しはじめた。

 その一方で、日本では経済失政が続く。

 日銀の三重野康総裁(1989-1994)による不動産規制などの「バブル潰し」、1993年に実施された銀行の自己資本率8%を求めるバーゼル規制(これにより銀行の「貸しはがし」が起こり、不良債権化が加速)、橋本龍太郎内閣(1996-1998)による1997年の消費税増税(3%から地方消費税を含む5%へ)など、経済成長を妨げるような政策が繰り返し続いたことが、日本経済を停滞させる。

 ただし、日本経済が長期停滞した根本原因は、そのような政策の失敗が重なったことではないというのが私の考えだ。日本経済を長期停滞に追いやった根本要因は、あくまでグローバル化によって生産拠点が国外に流出したことにある。

 アメリカはそれまで日本にオープンにしていた知的財産を封じて、中国を中心とする新興国の工場投資に振り向けた。この製造のグローバリズムにより低コストで質の高い製品を大量に作れることになったことで、アメリカは金融大国として成長し、中国も「世界の工場」として飛躍的な成長を果たした。

 その一方で、グローバル化と超円高が重なったことで製造業が力を失った日本は経済成長ができなくなり、また、製造業が海外に出たことで、空洞化した製造業の穴を埋めるように、サービス業の労働人口が大きく伸びた。だが、サービス業は賃金が伸びにくいため、日本人の実質賃金は下がる一方になり、日本経済はデフレスパイラルから抜けられなくなったのである。