「実験の力」でビジネスの成功率を向上させる【前編】

ハメルはいまなお健在である

日本では、ゲイリー・ハメルが「過去の人」になりつつある。1990年に発行された彼の出世作『コア・コンピタンス経営』(日経BPマーケティング)は、「コア・コンピタンス=中核能力」という直訳から、SWOT分析の“strength”と同義といった安易な理解、ケイパビリティとの混同、さらにはコア事業といった過剰な拡大解釈のせいで矮小化されてしまい、その真意が浸透しないまま現在に至る。

その後に上梓された『リーディング・レボリューション』や『経営の未来』(ともに日経BPマーケティング)、『経営は何をすべきか』(ダイヤモンド社)についても、既存のマネジメント慣行に非連続的な変化、すなわち改革・革命の必要性を訴えたにもかかわらず、日本では共感を得られなかったが、グローバルでは高い評価を得ている。世界の経営思想家を選出する「Thinkers 50」で殿堂入りを果たしたのは証左の一つであろう。

ハメルはその後、ヘンリー・ミンツバーグ、C. K. プラハラード、ピーター・センゲ、ハル・バリアンなどの研究者、革新的企業のCEOや先見的なコンサルタントたちに呼びかけて、未来の経営を構想する「マネジメント2.0」というイニシアティブを立ち上げる。その軸は、人間中心であり、脱官僚主義、脱ヒエラルキーである。こう聞くと、日本人ビジネスパーソンが大好きなピーター・ドラッカーが思い出される。なお、ダイヤモンドクォータリー編集部では、これまで2回——最初は「マネジメント2.0」について、もう1回は日米の労働生産性についてインタビューしている。

今回掲載した「実験の力」は、2023年にMITプレスの『イノベーション』誌に寄稿したもので、R&Dや製品開発の担当部門だけでなく、組織の構成員全員がためらうことなく実験を試みることができれば、言い換えれば失敗を恐れることなく試行錯誤できれば、もっとイノベーションが生まれてくるという主張である。

なるほど、トヨタ生産方式、新製品開発やイノベーションに詳しい、ハーバード・ビジネス・スクール教授のステファン・トムケは、2001年に『ハーバード・ビジネス・レビュー』誌に寄稿した「『実験技術』革命のインパクト」以来、そして最近では『ビジネス実験の驚くべき威力』(日経BP、2021年)の中で「実験すること」の重要性を訴え続けている。

本稿では、組織の官僚主義や前例主義が「実験」を回避し、そのインパクトを享受できずにいること、そしてジェフ・ベゾスがいかに実験を重視し、生命の進化のようにアマゾン・ドットコムを成長させてきたのかを検証する。

生命は「実験」を繰り返し進化してきた

「実験の力」でビジネスの成功率を向上させる【前編】
ロンドンビジネススクール 客員教授
マネジメント・ラボ 共同設立者
ゲイリー・ハメル
 Gary Hamel
シリコンバレーを拠点とする非営利のシンクタンク、マネジメント・ラボの共同設立者。1983年からロンドンビジネススクールの客員教授を務め、世界の経営思想家を選出する「Thinkers 50」で殿堂入りを果たしている。『ハーバード・ビジネス・レビュー』誌に20本の論稿を寄稿し、世界的ベストセラーとなったC. K. プラハラードとの共著『コア・コンピタンス経営』(日経BPマーケティング、1995年)を含め、『リーディング・ザ・レボリューション』(日経BPマーケティング、2001年)や『経営の未来』(日経BPマーケティング、2008年)、『経営の未来』(日経BPマーケティング、2008年)、『経営は何をすべきか』(ダイヤモンド社、2013年)など、著書は25以上の言語に翻訳されている。
マネジメントネジメント・ラボ 共同設立者
ミケーレ・ザニーニ 
Michele Zanini マッキンゼー・アンド・カンパニーのシニアコンサルタント、ランド研究所の政策アナリストを経て現在に至る。彼の研究は『ハーバード・ビジネス・レビュー』誌、『フィナンシャル・タイムズ』紙、『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙などで紹介されている。
両氏の共著に『ヒューマノクラシー』(英治出版、2023年)がある。本書は『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙、『フォーブス』誌のビジネス書ベスト10にランクされている。

生命ほど、イノベーティブで再起の力に富んでいるものはこの地球上にはない。隕石の衝突、火山の噴火、極端な気候変動、地殻プレートの変動などにさらされてきたにもかかわらず、生命は存続し繁栄してきた。標準的な進化モデルにおいて、生命にはCEOのような存在はなく、監督機関も戦略計画もない。

生命の適応力は、非常に複雑な生化学的プロセスを根源としているが、進化を「進歩」させる設計ルールは比較的単純である。生命は常にイノベーティブであり、突然変異や有性生殖、別の言葉で表現すれば「実験」を通じて、新しい遺伝的多様性を生み出し続けてきた。生命はこうして予期せぬ事態に備え、我々の惑星は過去4000年の間、思いも寄らぬ道筋をたどりながら変化してきた。それでも、いかなる変化も生命の適応能力を上回ることはなかった。

官僚主義は実験を嫌う

今日のデジタル経済下では、スピーディかつ低コストの実験がかつてないほど容易になった。アリババ、メタ・プラットフォームズ、グーグル(アルファベット)といった企業は、毎年何万もの実験を試み、アルゴリズム、ユーザー機能、ウェブデザインにおけるマイナーな変更の影響を検証している。一つひとつの実験は小さくても、累積していくとそのインパクトは大きい。

大半の企業にとって、実験は、その組織の隅々に、しかも深く浸透していない組織能力である。その理由はこうだ。大多数の社員には、小さな実験を企画・実行する裁量は与えられていない。実験を企画・実行する能力は、R&D、データサイエンス、製品マーケティングの専門家などに限られている。

しかも、こうした部門のスタッフでも、狭い範囲のA/Bテスト(デジタルツール上に複数の選択肢を用意し、個々の被験者の反応を比較検証すること)以上のことをやろうとすれば、たいてい経営陣の承認が必要になる。

『ハーバード・ビジネス・レビュー』誌の読者1万人を対象とした調査では、大企業の回答者の61%が、少人数のチームと少額の予算が必要な場合、現場社員が新しいことに挑戦するのは「非常に難しい」と回答しているのも驚くには当たらない。また、同調査の34%の回答者が、「ボトムアップによる実験は、しかるべき人脈と蛮勇の持ち主が存在する場合のみ可能である」と答えている。