そうした事情もあるためか、イの「飛行」が確実なものであったかは、まだ確定していない。たとえばメリーランド大学カレッジパーク校の古生物学者、トーマス・R・ホルツ・ジュニア(Thomas Holtz Jr)は、イの皮膜は必ずしも飛行用途だったとは限らず、求愛行動や他の種と自分たちを区別するためのディスプレイ用途で発達した可能性もあるとコメントしている(『サイエンティフィック・アメリカン』2015年5月1日付け)。

イの存在が指し示す
恐竜の進化の可能性

 ちなみにイは、「イ(Yi)」が属名で、種名は「キ(Qi)」という変わった学名である。

 これは中国語のアルファベット発音表記であるピンイン(漢語?音)を直接使って学名がつけられているからである。

 同様の方法で命名がなされた中国恐竜は、遼寧省北票市の白亜紀前期の地層から化石が見つかった小型獣脚類のメイ・ロン(Mei long:寐龍)をはじめ、ときに名前がやたらに短くなることがある。とりわけイの場合、種名を合わせてもイ・キ(Yi qi)であり、アルファベットでわずか4文字である。現時点では恐竜の属名のなかで最も短い名前だ。

 イが属するスカンソリオプテリクス科はまだまだ研究が進んでいない種類だが、大きな分類のもとではコエルロサウルス類である。

書影『恐竜大陸中国』(角川新書)『恐竜大陸 中国』(角川新書)
安田峰俊 著、田中康平 監修

 つまり、始祖鳥などの鳥類にかなり近い生き物ということだ。

 コエルロサウルス類は進化の過程で羽毛と翼を獲得し、空を飛べる鳥類になったことで生息域を広げ、結果的に白亜期末の大量絶滅を生き残ってその後の繁栄を築いた。

 だが、イの存在は、彼らの仲間がもしかすると別の形で空に進出していたかもしれない可能性を示している。

 イは結果的には進化の袋小路に入って消えてしまった生き物なのだが、恐竜が持っていた多様性をしみじみ感じさせてくれるユニークな存在だといえるだろう。