脳と心、意識の謎は科学で解けるのか。科学者たちを引きつけてやまないテーマがAIの急速な進化で一般にもますます注目を集めるようになっている。今回、神経科学の第一人者であるエリック・R・カンデル博士が一般読者向けに書いた『脳科学で解く心の病』(大岩ゆり訳、築地書館)と、池澤夏樹さん、竹内薫さん、最相葉月さんらが書評で取り上げた『脳を開けても心はなかった』(青野由利著、築地書館)の2冊に、『ダマシオ教授の教養としての「意識」』(ダイヤモンド社)を加えた3冊を俎上に、いずれも科学記者である大岩ゆりさんと青野由利さんがこのテーマを話し合った。大岩さんは元朝日新聞の科学記者、青野さんは元毎日新聞の科学記者で、オックスフォード大学のジャーナリスト向けフェローシップの同窓生でもある。2人がみた脳と心、意識に挑む第一級の科学者たちの素顔は?(構成:大岩ゆり、青野由利、ダイヤモンド社書籍編集局)

ノーベル賞科学者Photo: Adobe Stock

天才科学者たちはなぜ意識研究にハマるのか

青野由利(以下青野):今回、出版した『脳を開けても心はなかった』は、「正統派科学者がなぜ意識研究にのめりこむのか」をテーマに、意識研究の過去・現在・未来を見通した本です。

 25年ほど前に書いた本をアップデートしたものなのですが、そもそもの始まりは複雑系でした。複雑系を取材していて、この分野に参入するノーベル賞科学者が多いことに気づきました。彼らは、自分の分野を極めた後に、「これだけじゃわからない」と言って複雑系に行くんです。

 一方、意識研究や心の研究に参入する人たちの中にも、ノーベル賞受賞者が妙に多いことに気づきました。ある分野で功成り名遂げて、地位も名声も手にした人たちが、その後の人生でちょっと怪しげな意識研究に参入する。それはいったいなぜなのだろう?というところから出発したのがこの本です。

 例えば、DNAの二重らせん構造の発見者の1人であるフランシス・クリックさん。彼は元々、分子生物学者で1962年にノーベル賞を受賞した人ですが、その後、意識研究に転向しました。

 いったいどういうことなの?と半信半疑だった1990年代の終わりに、日本でノーベル賞科学者4人を呼んだ講演会が開かれ、そこでクリックさんが意識研究の話をしたんです。この人本気なんだ!というところから取材が始まりました。

 調べていくと、ノーベル賞を取らないまでも、自分の本来の分野で大変な業績を上げた人たちが、なぜかあるところから意識研究にはまる。しかもその中には、え? そんなところまで行っちゃうんですか? というケースもあって。それに興味を抱いて、調べたり、インタビューしたりした、というのがこの本の成り立ちです。

複雑系は新聞記事になるが、意識だと記事にはならない

大岩ゆり(以下大岩):その取材の過程で時々は新聞に記事を書いていたんですか?

青野:複雑系については所属していた新聞社が1992年にシンポジウムを開いたので、記事にしました。

大岩:ノーベル物理学賞受賞者のマレー・ゲルマンさん、物理学者の有馬朗人さん、免疫学者の多田富雄さん、ノーベル化学賞受賞者の福井謙一さんなどが参加したシンポジウムですね?

青野:そうそう、東大総長も務めた有馬朗人さんが複雑系に興味をもって、やりましょう、ということで一緒にやったんです。そのために、複雑系研究の総本山といわれるサンタフェ研究所(米ニューメキシコ州)にも取材に行きました。

 ゲルマンさんはサンタフェ研究所の創設者の一人ですが、本来は素粒子物理の理論屋さんで、クォークの提唱者ですね。ただ、この時は複雑系にのめり込んでいました。言語に造詣が深くて、私が名前を名乗ると、即座に「ブルー・フィールド」と返ってきたり、取材の途中で小林一茶の俳句を披露したり、そんな逸話も本書で紹介しています。

 でも、大岩さんもよくご存じの通り、意識研究は普通の新聞記事にはなりませんよね。

大岩:そうですよね。記者人生でほとんど取材したことがないです。

青野:私も意識研究を新聞で書いたことはないと思います。

大岩:だから、今から25年前に『脳を開けても心はなかった』の元になる本を書かれたことがすごいなと思います。

青野:実は私も、こんな本を書いて大丈夫かなと思って恐る恐る出したんです。普通の科学記者は手を出さないテーマだったので。

科学記者大岩ゆりさん(左)と青野由利さん(右)

複雑系と意識研究の共通点

青野:複雑系はまさに20世紀の科学の象徴である「還元主義」へのアンチテーゼと言っていいでしょう。

 複雑なものをどんどん細かく分析していけば真実にたどり着けるというのが還元主義の考え方ですが、たとえば人間を、臓器、細胞、DNAとどんどん細かくみていっても人間とは何かわかりませんよね。だったら、複雑なものを複雑なまま分析する、もしくは複雑なものを構成してみる、というのが複雑系の考え方です。

 意識もそうです。脳神経細胞をどんなに細かくみても人の心はわからない、という点で、還元主義的な考えでは解けないという共通点がありますね。

大岩:青野さんの著書を読んで、意識や心が、身体とは別であると考える心身二元論の方がノーベル賞受賞者でも結構いることにすごく驚きました。

 私が著書『脳科学で解く心の病』を翻訳したエリック・カンデルさんは、デカルトが言った「われ思うゆえにわれあり」ではなくて、「われあり、ゆえにわれ思う」であると。つまり、身体があるから心は生じる、という心身一元論的な考え方を圧倒的に支持しています。

 そして、著書の中で、ここ何十年かの科学の大きな成果は、やはり身体から心が生じるということが証明された点である、と書いているので、青野さんのご本の内容はすごく意外でした。

青野:そうですね。「正統派」と呼ぶかどうかは別として、ノーベル賞を受賞するような科学者はカンデルさんのような考え方が主流ですよね。私にとっても、心身一元論ではないノーベル賞科学者がこんなにいるのは意外で、それが本書を書くきっかけにもなりました。

 二元論的な考えを主張したノーベル賞科学者の代表はジョン・エックルスさんですね。大脳生理学者の大御所で、小脳研究の権威である伊藤正男さんのお師匠さんでした。そのエックルスさんが二元論を唱えるんですから驚きです。

 他にも調べていくと「この人もそうだったんだ!」という科学者が次々見つかったんです。「分離脳」実験のロジャー・スペリーさんがそうですし、脳の電気刺激で知られるワイルダー・ペンフィールドさんもそうです。

 また、単純に一元論二元論と分けられない、中間的な人がいることもわかりました。波動方程式で知られるエルヴィン・シュレディンガーさんがそうです。さらに、ジョセフソン素子でノーベル賞を受賞したブライアン・ジョセフソンさん、臓器移植法などでノーベル賞を受賞したアレキシス・カレルさんなど、二元論どころか、心霊現象やテレパシーというところまで行きついてしまう科学者もいるんですよ。

大岩:カンデルさんは一元論を支持しているんですけど、でも還元主義でもなく、やはりいくらどんどん細かく分析していっても、それで心や意識が解けるわけではないと考えています。

青野:そうなんです。そこからどこへ行くかが、わかれ道になる気がします。還元主義では解けないから、すごく飛んだところへ行ってしまう人と、そうではない人がいる。

 たとえばDNAの二重らせん構造を発見したクリックさんは、意識的な経験を生じるのに必要十分な神経活動(これを「NCC」と呼ぶのですが)、これを若手研究者(当時)のクリストフ・コッホさんと組んで見出そうとしていました。そういう意味ではカンデルさんとさほど違うところにはいなかった、ということだと思います。

カンデルとダマシオが考える身体と意識の関係

青野:ところで、大岩さんのお話の中で、カンデルさんは「身体があるから心が生じる」とおっしゃっていたと言っていましたよね。それは脳だけではだめだということですね。その点については、『教養としての意識』の著者である、アントニオ・ダマシオさんも同様のことを指摘していたと思います。「心や意識の説明を神経系のみに頼る理論は破綻する」とおっしゃっています。

 ダマシオさんは「内受容神経系」と言っていますが、身体の感覚が脳にもフィードバックして相互作用するという考え方で、つまり、意識や心は脳だけで生じるわけではないということですよね。

大岩:私はカンデルさんの前著『芸術・無意識・脳』(九夏社刊)も翻訳したのですが、謝辞に、ダマシオさんには最終稿に目を通してもらい、改善案を提案してもらったと書いてありました。

 また、カンデルさんは『脳科学で解く心の病』を書くにあたり、感情(情動)や気持ち、英語で言うとemotionとfeeling、エモーションとフィーリングをどう使い分けるかについて、ダマシオさんの定義を使っています。emotionは外からも測定できるような心の動き、feelingは主観的な心の動きという定義です。

 カンデルさんの著書では、ダマシオさん夫妻の研究がいくつか紹介されています。脳の特定の部位が怪我や手術で損傷されると、社会人として責任感をもって、規律のある仕事や生活ができなくなります。知能指数は障害の起きる前後で変化せず、論理的な思考はうまくできていました。

 ただし、患者さんの皮膚に電極を置いて調べると、恐ろしい写真にもポルノ写真にも何の反応を示しませんでした。また、恥や共感といった社会的な感情(情動)も失っていました。そして、倫理的な判断をする能力も失われていました。

 同じ部位に障害のある複数の患者さんを調べた研究から、ダマシオさんは、正しい倫理的な判断には、感情(情動)が欠かせないと証明しました。

情動、感情、気持ち

大岩:精神医学や心理学の学術的な定訳では、emotionは「情動」と訳されます。ダマシオさんの著書『教養としての意識』では「情動」と訳されています。実は私も『芸術・無意識・脳』の翻訳では、医学者の夫と共訳だったこともあり、情動と訳しました。

 ただ、情動は、医学系の方は皆さん使いますが、医学系じゃない人は日常的に使わないじゃないですか。なので、今回の『脳科学で解く心の病』では、日常的に使う言葉に訳したいと思い、感情と訳しました。フィーリングは、カンデルさんやダマシオさんが主観的な体験と定義して使っておられるので、「気持ち」と訳しました。

青野:ダマシオさんは「感情」や「情動」にとても重きを置いていますね。たとえば「心の内容(コンテンツ)は、必ず情動とセットで体験される」という意味のことを述べています。「私たちが何かを感じるのは、心に意識があるからだ」「私たちに意識があるのは、感情があるからなのだ!」とも言っています。

 ところで、大岩さんは翻訳していて、どこが大変でした?

大岩:カンデルさんの専門の脳神経科学の部分がすごく細かく詳しく書いてあり、そこを理解するのが難しかったですね。

 また、訳語をどうするかも悩みました。特に心の病にはいろいろな偏見やスティグマがあるので、できるだけ偏見やスティグマを想起させない、中立的な単語を使って翻訳するのに苦労しました。

 日本語では、遺伝という言葉にも、異常という言葉にも、偏見があるので、そういう言葉をなるべく使わないで、どうやって訳したらいいか。医学的な定訳で訳していくと簡単なんですけど、使わずに、意味が伝わるように言い換えるのがなかなか大変でした。