これに対して「悪い借金」とは、将来世代にツケを回す借金にほかならない。いわば、親が飲み食いして、その借金を子どもに押し付けるようなものだ。

 年金や医療・介護など、社会保障の受益は現世代である。これを一方的に将来世代に押し付けては、世代間で不公平なだけではなく、元利償還費を高めることで、将来世代の財政運営の選択肢を制限しかねない。将来にも、新たな感染症や大規模災害などの非常事態は発生しうる。財政が行き詰まれば、危機に対処する財政余力も限られてしまう。

 ちなみに、少子化対策や学校教育の充実は、将来への投資だから、インフラと同様に「教育国債」などの国債で財源調達してもよいという意見がある。確かに、児童手当や教育からの受益は子ども(=将来)世代に及ぶ。しかしここで忘れられているのは、彼らが働き手になったときに、親(=現在)世代の年金、医療等の社会保障の費用を、税や保険料を通じて支払っていることだ。

 子ども世代からすれば、教育国債の元利償還という形で自身の受益(=教育)を自ら負担した上、更に親世代の面倒まで負わされる「二重の負担」になってしまう。よって、子育て・教育の充実を目的に国債を出すならば、親世代が老後に享受する社会保障についても、子ども世代がどれほど担うべきか見直さなければ公平ではない。

 いずれにせよ経済成長や景気の安定化に果たす国債の役割、つまりは財政赤字の有用性は否定されるべきではない。しかし、これを放置することの弊害は大きい。ここで注意すべきは、財政赤字の規範と実際の区別だ。

 政治が財政赤字を拡大させるとき、景気対策を含めて財政赤字の規範(望ましい借金)が強調されるし、それを支持するエコノミストも少なくはない。実際のところは選挙向けのバラまきだったり、社会保障の見直しを含む痛みを伴う改革の先送りだったりする。財政赤字の規範は現実の財政赤字を正当化するものではない。

国民による国債保有は
資産形成といえるのか?

 アルゼンチンは2000年代初頭に、ギリシャは2010年代に壊滅的な財政危機に陥った。この2国の国債は、元々海外投資家が多くを保有していたのだが、過大な財政赤字から債務不履行の懸念が高まったため、海外投資家が引き上げてしまったのである。