「国の借金」の返済原資は
国民への課税

 政府が赤字国債の発行で国民に減税あるいは給付をしたとしよう。長期の財政収支を均衡化させるには、いずれ増税して国債の元利を償還しなければならない。仮に人々が「合理的」なら、今日の減税は将来の増税を予期させる。よって人々は、減税あるいは給付で増えた可処分(課税後)所得を貯蓄に充てて、将来の増税に備えるだろう。このとき国民は国債を保有するが、それは将来の収入を増やすためではない。その減少を防ぐためだ。

 つまり等価定理は、現在の減税や将来の増税などに対して貯蓄がバッファーとして調整されるため、個人の消費選択を変更しないとする。このとき、国債は国民の生涯にわたる所得を増やすわけでもない。

 バローは、現在の赤字国債が減税・給付を享受する現在世代ではなく、将来世代になってから増税で償還されるとしても、現在世代が将来世代に対して利他的で、彼等の負担にならないよう遺産を残すなら、「等価定理」は成り立つとした。ただし、将来世代は遺産を親世代から受けとっても、税の支払いに充てるのみとなる。

「国債は国民の資産」って本当?経済学者が教える「良い借金」と「悪い借金」の根本的な違い『日本の財政―破綻回避への5つの提言』(中公新書) 佐藤主光 著

 遺産ではなく将来世代が自分の所得から国債を購入している場合はどうか?仮に国債を100万円購入して、金利5%と合わせて将来105万円(=元本100万円+利払い5万円)を受け取ったとしよう。その元利償還費は当該個人への課税105万円で賄われたとする。「将来」時点では、受け取った元利と課税が見合っているように思われるが、「購入」時に100万円の支出があったにもかかわらず、将来の可処分所得は増えていない。結局ここで利益を得るのは国債100万円を将来世代に売却した(かつ遺産を残さない)現在世代に過ぎない。

 しばしば「国の借金」は「国民の借金」かどうかが問われる。しかし、ここまで見てきたように「国の借金」の返済の原資は、国民への課税だ。結局、国民自身の可処分所得を増やすわけではない。その意味で国債、特に赤字国債は資産と言い難いところがある。ちなみにロバート・バローの論文のタイトルは「国債は純資産か?」と疑問符を付けている。