日本企業だけでなく日本社会全体の価値観として、「要領よく進めて苦労を避ける」「手を抜ける場面で楽をする」のは「悪」とされがちで、「いやな出来事があっても耐える」「手を動かして一生懸命頑張る」のは「善」とされがちです。もはや、それが「美徳」なのです。

 しかし、そうした日本人の考え方を逆手にとったのが、いわゆる「ブラック企業」です。

「ブラック企業」ではよく「会社の理念」を暗唱させたり、休まない人間を高く評価したりといった手法で、労働者を洗脳します。そうやって「労働基本法に違反するような不当に安い賃金で違法な長時間労働を強いる」環境に疑問を持たせないようにするのです。

 こうした環境に運悪く置かれてしまうと「一生懸命働く」なんて「善」でもなんでもありません。場合によっては、自分の生命まで危険にさらされます。「一生懸命に頑張る」という美徳も、時と場合によっては「危険な発想」「悪の教義」になりかねません。

「苦労を避ける」「楽をする」のは、一見すると「怠惰」「怠慢」ですが、それとは表裏一体の価値として「物事を効率よく進め、全力を出さずに手を抜いて、体力をコントロールする」という意味では「善」でもあるのです。

 昨今、日本経済全体に「生産性が低い」という問題がしばしば指摘されていますが、「仕事の効率を度外視してとにかく長時間一生懸命働く」といった発想では、いつまでたっても「生産性の向上」は達成できません。

 むしろ、私たちの中に「怠惰」という「悪魔」が潜んでいることを認めて、「適度に休む」「効率の良い仕事の仕方を考える」方が、よほど生産性は向上するのではないでしょうか。

手間をかけることが「善」ではない
「怠惰」はイノベーションの母である

「男女平等」「女性の社会進出」が浸透してきている日本社会で、「家事を担当するのは女性の役割」と断言する人はさすがに減ってきていると感じていますが、いまだに「お母さん」が子供の弁当を用意している家庭はまだまだ結構あるようです。