日本の意思決定権者が臆病なせいで
デジタル弱者たちが損をする未来

 先ほど紹介した「AIは仕事を奪うか」研究には続きの話があります。取り上げた「オズボーン論文」でも、またその反証論文でも、人工知能がタスクを自動化する可能性は否定していません。

 AIに代表される新技術の活用や浸透によって既存の社会に変化が生まれていくことを昨今では「デジタルトランスフォーメーション(DX)」と表現することが増えていますが、そうした動きの一環として、今後あらゆるタスクがデジタル化、自動化していくと考えられています。

 そうなると、デジタル化に対応できない人材が社会に適応できず、失業する可能性は否定できません。そうした事態に備えるため、欧米各国ではデジタル化のための再教育(リカレント教育)にリソースを割こうとしています。

 一方、日本はどうでしょうか。

 再教育を受けていれば回避できるであろうに、「これまでの常識を疑わない人」が損をする世の中になりつつあると筆者は実感しています。どうみても現状には問題が多いのですから、このままで良いはずがない。同じやり方で上手くいくわけがない。今までの常識や過去の成功体験に囚われている限り、いつまで経っても何も変わらないままではないでしょうか。

 極端に賛成する人、まさに「イノベーション推進バイアス」に陥っている人の危機感の根源には、この「変わらない日本」に対する苛立ちが存在しているのかもしれません。

書影『人は悪魔に熱狂する 悪と欲望の行動経済学』(毎日新聞出版)『人は悪魔に熱狂する 悪と欲望の行動経済学』(毎日新聞出版)
松本健太郎 著

 人々がこれだけ両極端の反応を見せると、意思決定に携わる「失敗を恐れる人々」はせっかくの新技術に対しても「なにか良くわからない恐ろしいもの」だと判断してしまいがちです。

 日本が新技術やイノベーションを提供する人々から「あまり魅力的でない環境」だと見なされるようになって、もうずいぶん時間が経ちました。

 日本の臆病な意思決定権者の方々は、一体いつになったら「新しいものへの怯え」を乗り越え、主体的に決断を下すことができるようになるのでしょうか。

 それとも意思決定権者を総取っ替えするほうがよほど手っ取り早いでしょうか。