投資先が潰れて投資額をすべて失うことは、そうそうないとはいえ、過去にはこんなこともあったんです。
元消防士が株式投資で築いた資産は、なんと8億円! 三重県在住の専業投資家・かんち。49歳で早期退職してからというもの、生活費のすべてを株の配当金でまかなっている。その配当金の総額は、なんと年間2000万円超え。高配当株と株主優待株を組み合わせた「買ったらほとんど売らない」という手間のかからない“ほったらかし投資術”は、初心者の新NISAにも参考になる。「その投資術を知りたい!」と、長年著作の刊行を期待されていたものの、すべて断ってきた投資歴40年のベテランが、初めて著した話題の書『ほったらかしで年間2000万円入ってくる 超★高配当株 投資入門』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものをお送りする。

【資産8億円の元消防士が明かす】3代続く個人投資家が、祖母から語り聞いた「驚きの失敗談」Photo: Adobe Stock

3代続く個人投資家

私が株を始めたのは、親父だけでなく、祖母の影響も強く受けています。祖母は「現金より株」をモットーにしている人でした。

私は20歳から祖母と同居しましたが、祖母は大型の高配当株を買っていて、年金に加えて、保有株の配当金収入を得て生活していたのです。

祖母が株を始めたのは、戦前の話です。買っていたのは、鉄や繊維、電力や鉄道など、国家をつくるうえで欠かせない基幹産業の株でした。

戦前に祖母が
投資していた銘柄とは?

ただ祖母は、大きな失敗も経験しました。それは南満州鉄道(満鉄)株です。

日本は1905年、日露戦争に勝利。満鉄はその後に米国の仲介で締結された講和条約(ポーツマス条約)に基づき、ロシアが経営していた東清鉄道南満州支線(長春~旅順間)が日本に譲渡されたことで1906年に誕生した“半官半民の国策会社”でした。

第1回の株式募集では、募集株式10万株(2000万円)に対し、総申込株数は1億664万株に達し、申込者数は1万人を超えたそうです。いかに当時の人が満鉄に期待を寄せていたかがわかります。

紙くずになった株券

当時、祖母は証券会社の人から「絶対に儲かる」と言われ、けっこうな金額をつぎ込んだそうです。

満鉄は、当時の日本の国家予算の半分もの資本金を融資され、順調に成長を遂げました。ところが、第2次世界大戦の敗戦によって満州国が消滅し、満鉄の経営権は連合国にとり上げられてしまいました。

そして、満鉄の株券は、“ただの紙くず”と化したのです。祖母からは、この投資の失敗話をよく聞かされたものです。

一瞬にして
無価値になることもある

日本が負けることも、満鉄がなくなることも、まったく想像したことはなかったと、祖母は言っていました。多くの国民が期待を寄せた株でも、一瞬にして無価値なものになるのです。

強烈な体験ではありますが、ただそれでも鉄鋼株や繊維株に分散投資していたことで、最悪の事態は免れた祖母は、株式投資をやめることはありませんでした。

大企業でさえ潰れることがある

そんな祖母を母に持つ親父も、若いころから株をやっていました。親父も鉄鋼株など“硬め”な銘柄が好きでしたね。

親父は日本航空(JAL)株を持っていましたが、2010年の経営破綻でダメージをくらいました。私も同じくJAL株を持っていましたが、満鉄と同じで、まさか国を代表する天下のJALが経営破綻に追い込まれるとは思っていませんでした。

その前にも、1997年の北海道拓殖銀行と山一證券の経営破綻に驚きましたし、やはり少し損をしました。そうした大企業が潰れることはそうそうないとはいえ、可能性はゼロではありません。

※本稿は、『ほったらかしで年間2000万円入ってくる 超★高配当株 投資入門』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。