【解説:一つ足りない数え歌が、今宵も支配者たちを責めたてる】

 恨みがましいお菊の霊が井戸から抜け出し「1枚、2枚……」と皿を数える物語。最も有名なのは江戸が舞台の「番町(ばんちょう)皿屋敷」だ。いや兵庫県姫路の「播州(ばんしゅう)皿屋敷」こそ元祖だと言う人もいる。しかし播州のほうにしても物語が作品化されたのは江戸時代以降、姫路城の井戸が「お菊井戸」とされたのは大正時代ということには注意したい。

 そもそもお菊と井戸と皿にまつわる「皿屋敷伝説」は、秋田、岩手から鹿児島まで日本全国各地に点在する。細かい伝承まで含めれば48カ所にも及び、場所によって伝承の筋運びや細部が異なる。前述の怪談では各地の様々な噂を組み合わせてみた。

 各地の伝承のなかにはお菊という名が「お夏」になっていたり、主人からの折檻(せっかん)ではなく嫁姑ものというバージョンもある。また西日本方面では「お菊虫」の要素が散見される。お菊が死んだ井戸から、彼女に似た虫が大量発生したというものだ。通説では、ジャコウアゲハの蛹(さなぎ)を指しているそうだ。確かにあの蛹の形状は、後ろ手に縛られ乳房をはだけて吊るされた女性、という残虐絵のようなイメージを思い起こさせる。

 各地の皿屋敷伝説は、歌舞伎や浄瑠璃などフィクションとして楽しまれただけにとどまらない。「ここで本当にあったこと」として語り継がれている面もあるのだ。

 特に滋賀県、彦根に伝わる皿屋敷伝説では、不思議な現象は何一つ起きない。

 孕石(はらみいし)家の嫡男・政之進と、足軽の娘・お菊との哀しい恋愛スキャンダルだ。またお菊の墓や割れた皿の残り、お菊供養のため彦根藩関係者数百人が署名した寄進帳など、物証も数多く残されている。このため現地では皿屋敷の物語が「実話」として認識されているし、また確かに、ある程度は実際の出来事に基づいた話なのだろう。

 いや、そもそも日本各地の皿屋敷伝説はすべて、ある程度は「実話」ではないのだろうか。それはお菊の幽霊が実在したとか、残虐な折檻やお菊虫の大量発生などが事実だったという意味ではない。皿屋敷の怪談が発生するための、もととなる事件があったのでは、と言いたいのだ。

 各地の皿屋敷の多くは、武家屋敷という上流階級たちが住む閉鎖空間だ。そこに奉公する女性が犠牲になる出来事、拷問や殺人までいかずともなんらかの悲惨な目に遭う事件が各地で発生していたことは想像に難くない。しかし階級社会において、そのスキャンダルがもみ消されてしまうことも多かったはずだ。

 それを大っぴらに糾弾できない庶民たちは、皿屋敷という話型に託して、犯人を暗に告発したのではないだろうか。彦根の事例ほど極端ではないにせよ、各地に残る皿屋敷伝説には、それぞれ幾分かの事実が含まれているのではないだろうか。

 つまり全国で語られる「お菊」は、ある意味で、本当に実在していたのである。