――以上が「四谷怪談」と聞いて多くの人が思い出す、鶴屋南北の歌舞伎『東海道四谷怪談』のストーリーだ。しかしモデルとなった元の逸話はだいぶ筋が異なっている。

 元ネタ『四ツ谷雑談集(ぞうたんしゅう)』のお岩は若い頃の疱瘡(ほうそう)で片目を失っている。後妻をとりたい田宮(たみや)伊右衛門たちの罠にはめられ、家を追い出されるところまでは似ているが、毒薬も殺人もなく離縁はスムーズに成立。しかしその後、三番町の武家屋敷に奉公していたお岩は、知人づてに伊右衛門の卑怯な嘘を知る。怒り狂ったお岩は鬼のごとき形相で屋敷を飛び出し、四谷方面へと疾走。そして四谷見附(よつやみつけ)から外濠の向こうへと渡り、西へと駆け抜けていったのだが……。

 ここで、お岩の消息はぷっつりと途絶えてしまう。

 なぜか彼女は四谷左門町の田宮家に駆け込んでいないのだ。そんなお岩が再び姿を現すのは15年も後のこと。ただこれも死霊なのか生きているのかが定かではない。

 ここから伊右衛門やその妻子、関係者らが数年をかけて次々と病気にかかり死んでいく。また伊右衛門の死後も、田宮家の養子や脇役たちが呪われていく様子が、長い年月をかけて延々と描写される。

 こうして伊右衛門と仲間たちについては、個人どころかその家まで根絶やしにされたことが報告されるが、ここにおいてもなお、お岩の生死は明らかになっていない。

 それどころか終盤になって、お岩らしき老女が飯田町の坂(現在の九段下駅あたり)で目撃されるのだ。目の潰れたところもお岩にそっくりの、生きていればこの年恰好(かっこう)になっているだろう痩せた女の物乞いが、坂の途中でなにごとかを喋っていたのだという。

 はたしてお岩は憤死して果て、数十年にわたり怨霊として伊右衛門たちに祟っていたのか。いやそれは伊右衛門たちの勘違いであり、お岩は江戸の片隅で誰よりも歳老いて生きのびていたのだろうか。

 もし後者だったとすれば、ずいぶん拍子抜けな話だと思うだろうか。

 いやむしろ、そちらのほうがより不気味な怪談だと思う人もいるのではないだろうか。

POINT
・夫に騙され死んだお岩の怨念が次々と敵を殺す、日本一有名な怪談
・歌舞伎の「四谷怪談」は創作だが、もととなった実録本がある
・歌舞伎は物語性が強く、実録本ではリアルなお岩が描かれる