ただ格差社会の到来が不可避な中、今後の日本に必要となるのは、格差社会を否定して恐れおののくよりも、社会全体で機会平等を図ることだ。つまりは、住んでいる場所の問題で学びたいものが学べない。あるいは両親の経済的な理由で進学したくても進学できない人や、専門知識を得る機会を得られなかった人たち。そうした理由で取り残されてしまった人たちへの、社会全体でのバックアップである。

格差社会に立ち向かう努力と
才覚と運があれば結果はついてくる

 格差社会に立ち向かうためのツールこそまさにITであり、経済的なハンデによる機会喪失の解決には、持てる者となった人たちが、そうでない人たちに徹底して機会を提供する社会となることが大切だろう。

 つまりは日本中のありとあらゆる人や企業が、自分の職場や持ち場において、若い人、恵まれない人、チャンスを求めている人びとに、力を発揮する場を与える社会である。具体的には、希望者には男女や年齢の区別なくあらゆる仕事にトライさせ、活躍できるチャンスを提供することだろう。望めば職種に関係なくチャレンジできる環境づくりや、スキルを伸ばす学びの場の提供なども欠かせない。

 これは企業から個人まで、日本社会全体で行うべきことだから、提供できるものに大小や違いがあって当然だろう。身の丈や、それぞれの能力・職種にマッチした小さな機会提供であってもかまわない。たとえ小さなチャンスであったとしても、数が集まれば相当な機会の提供になるはずだ。

 お金に限らず、持つものがある者からまだ持たざる者へのこうしたさまざまな提供を、欧米では、「Noblesse Oblige(ノブレス・オブリージュ)/財産や権力を持つ者はそれ相応の社会的責任や義務を負うという道徳観」と呼んでいる。

 ただし逆説的ながら、結果の不平等もまた、受け入れなければならない。財産や能力のある者はそうでない者にチャンスを与えるようになるべきだが、そうした助け合いのもと努力を重ねても、全員が同じ果実を受け取れるとは限らない。

 努力と才覚、そして幸運に恵まれて豊かな実りを手にする者もいれば、同じ努力と才覚があっても、思わぬ不運で水の泡となる者もいる。