【元自衛隊メンタル教官が教える】心配性を短期で治す「深刻な体験」回数の法則とは?写真はイメージです Photo:PIXTA

やりたいことがあるのに、世間の正しさや常識に囚われて行動を起こせずにいるのは、人生の経験や情報を狭めるという意味で非常にもったいない。大切なのは、「うまくいくはずがない」という不安の種が大きく育つ前に、まず一歩を踏み出してみること。「こうあるべき」に惑わされず、ゆっくりマイペースで成長していけばいいのだ。本稿は、下園壮太『不安がりやさんの頭のいいゆるみ方 ――自衛隊メンタル教官がすすめるプチ楽観主義』(さくら舎)の一部を抜粋・編集したものです。

「正しさ」重視のクセを捨て
「自分がどうしたいか」で決める

※文中に登場する不安のレベルについて
■不安の第1段階=通常警戒レベル
■不安の第2段階=不安が頭から離れず夜も眠れない
■不安の第3段階=ネガティブ思考がどんどん拡大
図表1:不安の3段階・適正不安と過剰不安私たちはみんな、不安の3段階のどこかにいます。図7は、不安レベル2(=楽観的)、不安レベル5(=多数派)、不安レベル7(=悲観的)の各層について、不安に対する反応を示しています。現代人の多くは、リスクに対して必要以上に反応する過剰不安に陥りやすくなっています(図8)。
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 私たちは誰でも正しいことをしたいのです。自分が何かをやっていても、それが正しいのかどうかが非常に気になります。それを確かめるためにいろいろ勉強したり、ネットで検索したりします。

 正しさには論理的な正しさだけでなく、倫理的な正しさ、ほかの人と一緒である普通さ、手順ややり方の正しさなども含まれることがあります。いわゆる常識というやつです。

 この正しさへのこだわりは、私たちが子どもの頃に学校や親からしつけられてきた態度によってつくられている、と考えていいでしょう。伝統的な日本の教育では、それぞれの感性や態度を尊重するより、よい生徒、よい学生、よい大人、よい社会人の像が求められ、学習でも自分が考えた独創的なアイデアではなく、教科書に載っている答えこそが「正しい」とされ、それを覚えて従うことが、社会人としての重要な要素になってきているのです。

 自分の感性よりも外にある権威や周囲の人や集団などから期待される答え、つまり正しさのほうを重視するクセがどうしてもあるのです。

「自分」のことなのですから、そのクセはもう捨てましょう。「自分がどうしたいか」で決めていいのです。いわゆる「エビデンス」をやたらと求める人がいますが、これも「正しさ」志向の部分が大きいのです。エビデンスをうんぬんすることで「私は理性的、論理的に考えている」ということを自覚、あるいは誇示したいのだと思います。

 冷静に、エビデンスがどうして必要かという本質を考えていない人が多いようです。エビデンスは、それだけですべてが決着するものではなく、本来、何回か続く試行錯誤の単なる「1歩め」を選ぶための場合が多いのです。