職場には「いつもひとりよがりな考え方の人」と「相手の立場で考えられる人」がいる。一体、何が違うのだろう?
本連載では、ビジネスパーソンから経営者まで数多くの相談を受けている“悩み「解消」のスペシャリスト”、北の達人コーポレーション社長・木下勝寿氏が、悩まない人になるコツを紹介する。
いま「現実のビジネス現場において“根拠なきポジティブ”はただの現実逃避、“鋼のメンタル”とはただの鈍感人間。ビジネス現場での悩み解消法は『思考アルゴリズム』だ」と言い切る木下氏の最新刊『「悩まない人」の考え方 ── 1日1つインストールする一生悩まない最強スキル30』が話題となっている。本稿では、「出来事、仕事、他者の悩みの9割を消し去るスーパー思考フォーマット」という本書から一部を抜粋・編集してお届けする。
状況は1ミリも変わっていないのに感情が劇的に変わる話
Mさんが電車に乗っていると、優先席のところで3人兄弟らしき小さな男の子たちが騒いでいる。
上の2人は、靴を履いたままシートの上に乗ったり、つり革にぶら下がったりして大喜び。末っ子は気に入らないことがあったのか、ずっと泣き叫んでいる。
その横に座っているのは父親だろう。まったく子どもたちの様子を気にすることもなく、ボーッとスマホを見ている。電話がかかってきたのかその場で通話し始めた。
Mさんは心の中で「(なんという親なんだ……)」とため息をつく。
きっとほかの乗客たちも不快に思っているに違いない。
静かな車内に子どもたちの笑い声・泣き声が響き渡っている。
「(こういう親がいるから、世の中がダメになるんだ……)」
──Mさんはそう思いながら、イライラを募らせていく。
次第に車内が混み合ってきた。杖をついたお年寄りが乗り込んできたが、優先席がその親子で埋まっているのをちらりと見て、ほかの場所に席を探しに行く。
その光景を目にしたMさんは、とうとう我慢の限界を迎えた。
父親らしき男性のところに歩み寄り、冷静だが厳しい口調で
「みなさんのご迷惑になっていますよ!」
と伝えた。
父親が開き直って逆上してくるリスクも考えた。
けれど、明らかに悪いのはこの親子。
トラブルになったとしても、まわりの乗客が証言してくれるだろう。
しかし、次の瞬間に起きたのは、Mさんが想定していたどの未来とも違っていた。
注意された男性は、ハッと我に返った表情で「すみません!」と頭を下げたのである。
「じつは、交通事故に遭った妻が……この子たちの母親が、先ほど病院で亡くなったばかりでして……あまりにもショックで全然まわりが見えていませんでした。ほら、3人とも、電車の中では静かにしなさい」
子どもが騒いでいるという状況はまったく変わっていないにもかかわらず、Mさんの心(感情)はまったく違うものになった(スティーブン・R・コヴィー著『7つの習慣』〈キングベアー出版〉にあるエピソードをもとに再構成)。
「悪人」にとらわれた人は、一生幸せになれない
人はふつう「自分が正しく、相手が間違っている」と感じている。これは心の自然な動きだから仕方がない。
問題なのはそこから、「自分は正義」「相手は悪」と、ものの見方を固定してしまうことだ。
そして、相手が不快な行動を取っている場合、その人を「悪」として解釈してしまう。
なかには、「正義」である自分が、それを正さねばならないと考える人もいる。
このような善悪二元論的な思考アルゴリズムも、しつこい悩みの要因になる。
ひとたび相手を「悪」として規定してしまうと、相手の存在そのものに不快感を覚えるようになる。
何か具体的な害を被っているわけでなくても、その人がこの世に生きていること自体がストレスになる。それこそ、どちらかが死ぬまでずっと悩みは解消しない。
「悩まない人」は、こうした二元論に陥らない。
相手も「自分が正しく、相手が間違っている」と感じていることを知っているからだ。
相手には相手なりの事情があり、真っ当な(だが自分にはきわめて不快な)行動を取っているつもりなのかもしれない。相手の目にはむしろこちら側が「悪」として映っている可能性もある。
「悩まない人」は他者と衝突したとき、ひとまず相手側の観点から物事を見直そうとする。そのような行動を取るに至った事情を理解しようとする。
それによって、
・見落としていたが、自分が間違っている
・共感はできないが、相手がそう思うのも無理はない
・どちらが正しく、どちらが間違っているというわけではない
という結論に落ち着き、悩むことを回避しているのである。
「競合にやられて嫌なこと」を全部やる
──マーケッター的発想の本質
私はいつも「自分の立場」で思考した後、「相手の立場」でもう一度考えるクセがある。
これは私が経営者でありながら、現場に立ち続けるマーケッターでもあるからだ。
プロのマーケッターは商材を問わない。
何を売るにしてもやることは同じ。常に「売る側の観点」ではなく、「買う側の観点」を徹底的に調べていくだけだ。
つまり、マーケッターとは「相手の立場でものを考えるプロフェッショナル」なのである。
商品を開発するときも広告をつくるときも、マーケッターは「自分たちが何をつくりたいか」ではなく、「ユーザーが何をほしがっているか」を考える。
世の中の売れない商品は、このプロセスをすっ飛ばしているにすぎない。
自分側からしか考えていないから、ユーザーに届かないのである。
相手の立場から考えることは、決して難しくない。むしろ、マーケッター的なものの考え方に慣れてしまうと、どんな問題に直面しても、自分の知識・経験などが問われず、その都度相手の視点にさえ立てれば、やるべきことが最初からはっきり見えるので、精神的にも非常にラクになる。
プロのマーケッターは、最も「悩まない職業」と言ってもいいだろう。
競合対策においても、この考え方が役に立つ。
たとえば、類似商品をリリースしてきた競合他社が現れたとき、多くの企業は「いかに自社の強みを出して差別化していくか」を考えてしまう。
つまり、自分の立場からしか物事を眺められていない。
マーケッター的発想ができる人は、こういうとき、真っ先に「競合の立場からすると、どんなことをやられるといちばん嫌か?」という問いを立てる。
徹底的に相手の視点に立つわけだ。
あるとき、「北の達人」で「モンドセレクションにエントリーすべきかどうか」という議論になった。
モンドセレクションとは、世界各国から出品される食品、飲料、化粧品などを審査し、優良な商品を認定する国際的品評機関。ここで受賞できると自社商品に箔がつく。
しかし、日本でも受賞商品はかなりあり、エントリーにもそれなりのお金がかかる。それを踏まえると、いまさら「モンドセレクション受賞」を謳ったところで、大した意味はないのでは? ──そんな意見が社内から出てきたのである。
しかし、こういうときこそ「相手の視点で考える」のが有効である。
このとき私は「もしも競合が受賞したらどう思うか?」という問いを立ててみた。
当社商品にはモンドセレクションのラベルはないが、当社の類似商品を展開している会社が「モンドセレクション受賞」のラベルを貼って、商品を売り始めたら……?
すると社内のみんなに「競合に先に受賞されるのはすごく嫌だ」という空気が広がり、賞へのエントリーが決まった。
人はつい「自分たちの強み」を起点にビジネスを考えてしまう。
しかし、マーケッターは常に「他者の視点」を忘れない。
だから私は「競合対策」のためには「競合にやられて嫌なこと」を全部やろうと考えているのである。
「白い悪魔」が見えていますか?
──ジオンの立場で考えると善悪は逆転する
「マーケッターの思考法」を獲得した私の原体験をたどると、10代で夢中になった「ガンダム」シリーズに行き着くように思う。
シリーズ第1作である『機動戦士ガンダム』は、「正義」である地球連邦と「悪」であるジオン公国との戦争を描いたストーリーだ。
ベースになっているのはシンプルな世界観で、ガンダムという白いロボット(モビルスーツという)に乗った少年アムロが、敵のジオン軍と戦う。
そして、最後にジオン軍を倒し、戦争が終結するという物語だ。
シリーズ第1作はそもそも子ども向けにつくられていたこともあり、「なぜ戦争をしているのか」などの詳しい背景はわからなかった。
しかし、それ以降の続編やスピンオフ作品は少し大人向けの内容になっており、同じ世界がまったく別の角度から描かれている。
初代ガンダムで「正義」として位置づけられていた地球連邦は、続編以降では失政を繰り返してきた「諸悪の根源」とされているのだ。
ガンダムの世界では、地球上の人口があまりにも増えすぎた結果、宇宙空間上につくられたスペースコロニーに人々を移住させてきたという経緯がある。
これは「棄民政策」と呼ばれ、要するに地球の人口を減らすため、安全性の低い住環境であるスペースコロニーに多くの人民を棄てたのである。
スペースコロニーで苦しい生活を強いられていた人たちは、やがて自由を求めて地球連邦からの独立に向けて動き出す。そのようにして宇宙で暮らす人々を、地球連邦の圧政から解放するために誕生したのがジオン公国である。
このような背景を踏まえると、地球連邦が正義、ジオンが悪というのは、あまりにも平板なものの見方だったと気づかされる。
ジオン公国はまだ小さな国であり、国力は地球連邦にはるかに及ばない。
そのため、学生たちが戦争に駆り出されている。学徒出陣で戦地に送り込まれたジオンの若者たちにとって、ガンダムは決してカッコいいヒーローなどではない。絶大な戦闘力を誇る正体不明のロボット兵器であり、「白い悪魔」と呼ばれている。しかも、パイロットは自分たちより若い15歳の少年というではないか。
地球連邦が生み出した「白い悪魔」が戦場にやってくるたびに、味方たちが10機、20機で束になっても一掃されてしまう。それに出合ったら、即、死亡確定。スピンオフ作品などではガンダムはそんな恐ろしい存在として描かれているのである。
ガンダムシリーズの監督・原作者である富野由悠季さん(1941年生)は、すべての作品の根底に「見方を変えれば善悪は逆転する」というテーマを置いているらしい。
だからこそ、勧善懲悪のスタンスで物語を始めておきながら、途中からは敵側の視点から同じ舞台を捉え直すのだ。
敵の視点に立った瞬間、「正義の味方」と思っていたガンダムが、極悪非道の「白い悪魔」へと姿を変える。
明らかに富野さんはどちらかが正しいという価値観で作品をつくっていない。人間にとっての正義や悪が、単なる視点の偏りや主観に根ざしたものだと考えているのである。
少年の頃から富野さんの作品に触れていたことで、私にはさまざまな立場から物事を見る「多面的な考え方」が自然に身についたと思われる。
盗人にも三分の理──他人の思考回路に興味を持つ
人間関係の悩みに向き合うとき、「盗人にも三分の理」ということわざほど核心をついたものはない。
どんな悪事にしても、それを働いた本人にしてみれば、その行為をせざるをえなかった理由があるということだ。
実際、殺人犯のほとんどが「あれは仕方がなかった」「あの状況ならだれだって自分と同じことをしたはずだ」という思いを持っているという。
DVをする人も同じだ。彼らは「私が殴ったのは、相手が殴られても仕方がないことをしたからだ」と本気で考えている(だからといって、不正や暴力が許されるわけではない)。
はっきり言って、彼らの考え方はきわめて歪で異様である。
また、ここまで極端ではないにせよ、こちらがギョッとするような行動を取る人はいる。
しかしこのとき、「この人は悪人だから」「この人は変人だから」と決めつけてしまうのは、一種の思考停止である。前節で触れた「相手が変わるべき病」は、ここから生まれる。
「悩まない人」はむしろ、他者がいったいどんな思考回路を経て、そのアクションに至ったのかを丹念に追いかける習慣を身につけている。
ありとあらゆる「盗人」たちの「三分の理」を集めているので、「悩まない人」にとっては単純に「絶対的に悪い人」や「絶対的に憎むべき人」がいない。
その人がやった行為に共感することはないにしても、なぜそうしたのかを理解すれば、ストレートに非難するより少しは寄り添ったアプローチができる。
前述のあおり運転をしていた人も、じつは病気の親族のもとに駆けつけるために急いでいて、ついやってしまったのかもしれない。
いかなる理由があろうと、あおり運転はいけないが、「何か事情があるのかもしれない」と思うと、少なくとも怒りは収まる。
可能な限りいろいろな人の価値観を知ることが、人間関係の悩みを減らす最も確実な方法である。
ここからわかるとおり、「悩まない人」は「他人に関心がないから」人間関係に悩まないわけではない。
むしろ、「悩まない人」ほど、「他者の思考アルゴリズム」に強烈な関心を持っている。
他者を悪人扱いしている人のほうが、相手の価値観をまともに知ろうとしていないという意味で、他人への関心が薄いと言えるだろう。
リクルート江副さんが語った「人間の器を大きくする方法」
「器の大きさとは、何だと思いますか?」
以前、リクルート創業者の江副浩正さん(1936~2013)が社員からそう聞かれたとき、「どれだけ多くの人の価値観を知っているか」と答えたそうだ。
同質的な人間関係の中で生きている限り、人間の「器」は広がっていかない。小学校・中学校の頃に同じ地域に住む人とつきあい、高校・大学では同じような偏差値の人と友達になる。社会人になってからも、同じくらい優秀な人と同僚になり、その人たちとばかり交流する。そんな環境下では器は大きくならない。
私はいつも、自分と異なる価値観の人たちを知りたいと思っている。
だからSNSでは、ふだん絶対につきあわなそうな人、決して友達になれなそうな人、根本的な価値観がまったく相容れない人、経営者という仕事やお金儲けを憎悪している人たちをこっそりフォローし、彼らの思考回路を観察している。
別に彼らの価値観に「共感」する必要はない。
大事なのは、他者の価値観を「理解」することである。
「そんな考え方があるのか……」という理解の引き出しを増やし、「器」を広げていけば、他人に腹が立つこともなくなるだろう。
(本稿は『「悩まない人」の考え方──1日1つインストールする一生悩まない最強スキル30』の一部を抜粋・編集したものです)