結局、この場所、知ってるよね?という判断が形になったのが、地名だけをぽんと出す原文であり、前提にしている知識までセットと考えて訳出すれば、どういう場所なのかの説明が表に出てくるわけです。つまり、説明までするのが「足さない・引かない」翻訳。その説明のない訳文は、「引いちゃった翻訳」、訳抜け、と言えるでしょう。

「ジョブズはUnagi sushiを食べた」
どう和訳するのが適切なのか

 逆に、「ここ、知らないよね」と著者が提示するケースもあります。その場合、翻訳で説明を入れてしまうのは、「足しちゃった翻訳」、勝手訳です。原文の読者は「それ、どこよ?」と思うはずなのに、訳文の読者は、「ふーん、そういうところなんだ」になってしまうわけですから。

 また、原文読者はよく知らないはずだけど訳文読者はよく知っているはずという情報もあります。その場合、著者は、「知らないかもしれないけど、こんなところがあって……」とか書き、原文読者は「ふむふむ、そうなんだ」と受け取るわけですが、それをそのまま訳すと、訳文読者は、「んなわかりきったこと、なにをくだくだ書いてるんだ」と思ったりするわけです。

 たとえば英日翻訳で、「お寿司ってものがあって、お酢をしませたご飯を小さな直方体に成形し、そこにお魚などを薄く切ったものを載せるんだけど、これが基本的に生で……」なんて書かれていたとき、そのまま訳して日本語版にしたら、日本の読者は「はぁ……?」って思うでしょう。

 理由は、訳出しちゃいけないところまで訳出してしまったから、言い換えれば、「足してしまった」からです。このような場合、話の展開上、触れておくべきところ以外は言外に押し出し、あくまで暗示的に書くにとどめる、とするのがまっとうな翻訳だと私は思います。

 今回、ジョブズがホテルオークラの寿司屋で好物の“unagi sushi”を食べたとありました。英語圏の人は、大半が「なんかよくわからんけど、おいしいのね?ジョブズは好きだったのね?」と読むでしょう。日本食好きは、「ああ、あれね」かもしれません。

 日本人は、けっこうな割合が、「ホテルオークラでうなぎの寿司なんぞ出てくるのか?」と思うでしょう。うなぎの寿司、私は好きなんですけど、ゲテモノネタであり、回らない寿司屋では出てきませんから。だから日本語版は「穴子」と現実に合わせてあります。