「研修中、『笑顔がいいですね』って褒められたんです。今まで言われたことなかったし、あまり人に興味を持つこともなく生きてきたんですよ。だけど、私でも役に立つのかな、って」

 そう思えたことが自信に繋がり、最終的にはスタッフを指導するリーダー的立場も任される。大学卒業後は管理栄養士の資格を得て、病院の栄養課に就職した。

「いくつかの病院で働き、最終的にはターミナルケア(終末期医療)での食事調整を受け持っていました。嚥下障害の患者さんがどうやったら食べやすくなるか工夫しつつ、少しでもおいしく、満足してもらえるよう考えて」

 毎食が最期のひと口になるかもしれない、という状況の中で働いた。患者さんたちは、食べられたとき実にうれしそうな表情を見せる。やりがいのある日々だった。

 28歳のとき、合コンで出会った消防士の夫と結婚する。同年妊娠が分かり、臨月に里帰りをして地元の病院で受診したら、担当医から「すぐ県立病院に行ってください」と言われてしまう。

「羊水もないし、体がすごく小さい。今までの診断で小さいと言われませんでしたか、って。頭が真っ白になりました。県立病院では『おそらく脳に障害があるでしょう』と言われて」

 自然分娩は無理と診断され、数日後に帝王切開で出産する。芽彩さんは1836gでこの世に生まれた。