「この会社とは仕事しないと決めた瞬間があります」
そう語るのは、起業家・UUUM創業者である、鎌田和樹氏だ。2003年に19歳で光通信に入社。総務を経て、当時の最年少役員になる。その後、HIKAKIN氏との大きな出会いにより、29歳でUUUMを設立。「ユーチューバー」を国民的な職業に押し上げ、「個人がメディアになる」という社会を実現させる。2023年にUUUMを卒業後、初となる著書『名前のない仕事 ── UUUMで得た全知見』では、その壮絶な人生を語り、悩めるビジネスパーソンやリーダー層、学生に向けて、歯に衣着せぬアドバイスを説いている。この記事では、本書より一部を抜粋・編集し、これからの時代の「働く意味」について問いかける。(構成/ダイヤモンド社・種岡 健)
「この会社とは仕事しない」と決めた瞬間
2016年4月に、熊本の震災がありました。
クリエイターによるタイアップ動画の投稿は金曜日に集中しがちですが、震災があった翌日は金曜日でした。
当時、UUUMとしては、「動画は公開しない」という方針に決めました。
ほとんどのクライアントは、それに同意してくれましたが、1社だけが納得してくれませんでした。
「もうテレビCMも出していますし、全国的なプロモーションなので、ユーチューブ動画も絶対に公開してほしい。それができないと他と連動しないので、3000万円くらいの賠償金が必要ですよ」
そんな話を、新しく来たばかりの執行役員に話してきたそうです。
僕はそのとき外出していたので、「戻ってきたら、鎌田さんに判断してもらおう」ということになりました。
ただ、他の役員は僕のことをよく知っているので、「鎌田さんなら、それ払うと思うよ」と言ったそうです。
僕は帰ってきて、役員から説明を受けて、「払って」と秒で言いました。
やはり僕らには信念がありました。
まずクリエイターがプラスになること。その考えに賛同してくれる会社が仲間だということ。
だから、単純にお金ではないのです。別にそれで嫌われてもいい。
だから、「払って終わらせよう」と判断しました。
先方からすると、「払ってくれるの? そこまでして考えを曲げないの?」という感じでしょう。
そして、僕は一生、その会社とは仕事をしないと決めました。ああいうときにそういうことをした会社というのは、いつまで経っても忘れません。
その積み重ねがあって、いまのUUUMができていったと思います。
真ん中に落ちそうなボールを最初に拾う
ビジネスは結局、「需要と供給がたまたま合っていただけ」に過ぎないのではないかと考えています。
なるようにしかならない。
それで別にいいと思っています。過度な期待をしていないということなのかもしれません。
当時、UUUMがいい状態になっていったのも、「需給が合っている」からでした。
スマホが売れて、デバイスが普及し、ユーチューブを見る環境が生まれ、個人が動画で稼げるようになり、4Gになったおかげでゲーム実況などのコンテンツが可能になり……。
そういうトレンドに乗ることができたのは、すべて「風が吹いていた」からです。
だからたまに、「僕がやったことって、なんかあるのかな?」と思うこともあります。
厳密にはあるのかもしれませんが、やはり「大きな流れ」というのは絶対にある。
そんな中で、2016年ごろは上場に向けて証券会社の審査をおこなっていました。
しかし、中間審査で止まってしまった。
ユーチューブ動画の著作権部分が審査で引っかかっているとのことだった。
「過去の動画のすべてをチェックし、著作権者からOKをもらわないといけない」
そういうことだった。
結局、過去の12万件以上の動画を、2000万円をかけてすべてチェックすることになりました。それ以降の動画チェックはいまも続いています。
僕ができることは、流れに乗りつつ、1つ1つ決断をしていくこと。
真ん中に落ちそうなボールを、最初に拾いに行き続けるということでした。
(本稿は、『名前のない仕事 ── UUUMで得た全知見』より一部を抜粋・編集したものです)
起業家、UUUM創業者
2003年、19歳で光通信に入社。総務を経て、店舗開発・運営など多岐にわたる分野で実績をあげ、当時の最年少役員になる。その後、孫泰蔵氏の薫陶を受け、起業を決意。ほどなくして、HIKAKINとの大きな出会いにより、2013年、29歳でUUUMを設立。「ユーチューバー」を国民的な職業に押し上げ、「個人がメディアになる」という社会を実現させる。2023年にUUUMを卒業。『名前のない仕事 ── UUUMで得た全知見』(ダイヤモンド社)が初の単著となる。