「一緒にいてくれる人を大切にしていこう」
そう語るのは、起業家・UUUM創業者である、鎌田和樹氏だ。2003年に19歳で光通信に入社。総務を経て、当時の最年少役員になる。その後、HIKAKIN氏との大きな出会いにより、29歳でUUUMを設立。「ユーチューバー」を国民的な職業に押し上げ、「個人がメディアになる」という社会を実現させる。2023年にUUUMを卒業後、初となる著書『名前のない仕事 ── UUUMで得た全知見』では、その壮絶な人生を語り、悩めるビジネスパーソンやリーダー層、学生に向けて、歯に衣着せぬアドバイスを説いている。この記事では、本書より一部を抜粋・編集し、これからの時代の「働く意味」について問いかける。(構成/ダイヤモンド社・種岡 健)
「自分がやったほうがうまくいく」という思い込み
UUUMを創業して2018年まで、紆余曲折はありましたが、おおむね右肩上がり。
しかし、そういう状況はずっと続きません。
2019年にはクリエイターに訃報がありました。
そんな中でも、前を向かないといけません。
上場企業の経営者として、成長を追いかける。人を雇い、組織を拡大する。
そのことに集中していました。
ただ、いま思い返してみると、「自分でやりすぎていたな」と反省することはあります。
不思議ですね。
「もっと任せればよかった」と考えてしまう。
どうしても人は、「自分がやったら失敗しない」という思い込みがあるようです。
事実、自分でやったからこそ失敗していないとも思うのですが、「もっと違う時間を使えたんだろうな」という反省があります。
「自分じゃなきゃダメだ」と思うのではなく、他人に渡しても、意外とすんなりうまくいくことは多いものです。
スタッフの力を過小評価していた面がありました。
「自分がやったほうがうまくいく」というのは、ほとんどの人が思うことでしょう。
特に優秀な人、結果を出してきた人であればなおさらです。
だから、仕事を「渡す/渡さない」の前に「こいつに渡しても失敗するかも」といった「性悪説」的な考え方はなるべく排除していくべきですね。
辞めていったクリエイターのこと、
どう思っているんですか?
この年、UUUMはコロナの影響を受けて、業績を下方修正しました。
シルク・ドゥ・ソレイユの会社更生手続きなどの事例を見て、「なんとか自分たちは乗り越えられているのかな」と思っていました。
ただ、直接的にクリエイターと会えない時間が増えました。
それにより、UUUMが発信した情報だけが一方的に届いてしまった。
今までなら、「やりたいこと」「やっていること」に加えて、「説明すること」をセットにしてクリエイターと向き合ってきました。
しかし、その「説明すること」が欠けていたのでしょう。
そこで起こったのが、クリエイターがUUUMを離れていくということでした。
たとえば、「金の切れ目が縁の切れ目」という言葉は、「お金があるときは良好な関係」「お金がないときはすぐに関係が断たれる」ということを言っています。
僕らも当然、仕事としてクリエイターと向き合っています。そして、クリエイターも仕事として、僕らと向き合ってくれています。
そうやって、お互いの人生が重なっていく中で、「情なんてなくてドライ」「お互いが結果だけを求める関係」と言うこともできるかもしれません。
ただ、僕はどうしても割り切っては考えられなかった。
お金儲けだけが目的であれば、もっとドライなやり方があります。
もっと効率のいいやり方があるなんてことは、知識として当然知っています。それは、他の事務所や海外の事例からもわかることです。
でも、それはやりたくなかった。
UUUMをつくるときに考えていたことは、「単純に儲かる会社をつくりたい」ということではなかった。
「遠回りをしながらでも楽しく成長しよう」というイメージで、「人と人が接するからこそ、その中でできる仕事をやろう」ということ。
落ち込んでいたとき、ユーチューバーのきょんくまから、
「辞めていったクリエイターのこと、どう思っているんですか?」
と聞かれ、
「いや、さびしいよ」と返すのが正直な気持ちでした。
人として、「ただただ、さびしい」。それだけでした。
僕も辞めた人間だから
退所への思いを聞くと、「わかる」という部分もあれば、「それは納得できない」という部分もあり、複雑な感情でもありました。
たとえば、どんなに素晴らしい会社に勤めていても、「ここで一生、働き続けますか?」と聞かれたら、誰だって「いやぁ……」と考え込んでしまいますよね。
福利厚生が手厚かったり、成果に応じて高い報酬があっても、それでも「独立したい!」という人は定期的に現れます。
そもそも、僕がそうですから。
光通信を辞めて、UUUMを立ち上げています。
UUUMが上場するまでは、まだクリエイターの市場が出来上がっていませんでした。
だから、当時なら「独立よりは事務所にいたほうがいい」という考えが自然だったでしょう。何せ、風が吹いていたのですからね。
そこから、僕らはみんなと一緒に市場をつくることができた。
そうすると、今度は「独立したい!」ということが起きるのも自然です。
そして当時の僕は、「一緒にいてくれる人を大切にしていこう」と決意を新たにしました。
「自分たちの手の届くところでクリエイターをサポートしていこう」
そういうことです。
(本稿は、『名前のない仕事 ── UUUMで得た全知見』より一部を抜粋・編集したものです)
起業家、UUUM創業者
2003年、19歳で光通信に入社。総務を経て、店舗開発・運営など多岐にわたる分野で実績をあげ、当時の最年少役員になる。その後、孫泰蔵氏の薫陶を受け、起業を決意。ほどなくして、HIKAKINとの大きな出会いにより、2013年、29歳でUUUMを設立。「ユーチューバー」を国民的な職業に押し上げ、「個人がメディアになる」という社会を実現させる。2023年にUUUMを卒業。『名前のない仕事 ── UUUMで得た全知見』(ダイヤモンド社)が初の単著となる。2024年9月から、新事業として子どもの体験格差にスポットをあてたプロジェクト「ピペプロ」を始動。