祭り写真はイメージです Photo:PIXTA

盆踊り、子ども会、町内掃除や見回りなど町内会の活動は多岐にわたるものの、常にマンパワー不足の状態にあり、維持することが難しくなっている。特別な権力も財力もなく、ひたすら人々の公共心にのみ訴えかけて、50年以上も維持されてきた奇跡の民間団体を存続するには、どうすればよいのか。※本稿は、玉野和志『町内会 ――コミュニティからみる日本近代』(ちくま新書)の一部を抜粋・編集したものです。

町内会は「封建遺制」として
アメリカ占領軍に禁止された

 町内会という希有な存在が、歴史の偶然によって生まれたものであることを改めて確認しておきたい。

 近代の資本主義市場経済の成立によって、自らの労働力を自由に処分できるという意味で、身分制の支配を脱した労働者大衆が台頭した。この広い意味での労働者階級が、自らをひとかどの、ちゃんとした、リスペクタブルな存在であると認められることを求めたのが、大衆民主化の時代であった。

 日本の場合、それは労働者による労働組合を通した労働運動によってではなく、都市自営業者が町内会を通して天皇制ファシズムを臣民として支えるというかたちで実現することになった。それゆえ戦後、町内会は「封建遺制」とみなされ、アメリカ占領軍によって禁止されたのである。

 しかしながら、昭和初期の1930年代に村落から都市に流入して自営業者になった世代が1910年前後の生まれであるとしたら、戦時中は30代、戦後復興から高度成長期には40代~50代となり、1980年代になると70代ということになる。

 1980年代以降、町内会を支えてきた都市自営業者の経済的な基盤は失われ、この世代は年齢的にも終盤に近づいていく。自治会・町内会の存続が危ぶまれるようになる2010年代には、ほぼ世代としては尽きているといってよいだろう。

 つまり、自治会・町内会を積極的に支えるだけの理由のあった世代は、もはや存在しない。全戸加入を原則とし、行政への協力を惜しまないような民間の任意団体を積極的に支える人は、通常ならば、それほど多くはないだろう。そのことが自らの存在証明になるという歴史的な事情を有した世代は、もはや存在しないのである。