町内会を滅ぼしかねない
フリーライダー問題

 したがって、まずは町内会のような住民組織が存続することが当たり前と考えることを、やめるところから始める必要がある。その事情は、一般には「フリーライダー問題」とよばれるもので説明できる。「共有地の悲劇」とも言われる。共有地のように誰もが自由に利用できる公共財は、各自が自らの利害にもとづき際限なく利用してしまうので、やがて乱獲によって枯渇してしまうという経済学的な法則を意味している。

 言い換えると、そのような公共財は誰かが努力して維持していてくれているならば、他の人はできるかぎりそのような公共財の維持に自ら負担をすることなく、ただ乗りしようとしてしまうということである。公共財を維持してくれる殊勝な人がいなくなると、やがてその公共財は維持できなくなり、ただ乗りしていた人も含めて被害を被るという問題を指摘したものである。

 町内会はいわば公共財のようなものである。日頃から行政に協力し、地域の親睦行事を支え、ごみ集積所の管理などもしてくれる。あると助かるし、いざというときありがたいが、日頃からそれを積極的に支えようとは、誰も思わない。

 それは、誰かがやってくれれば助かるが、できれば参加したくないものなのだ。町内会は全戸加入を原則に、つねに地域のために必要なことを行う団体なので、参加者が好きなことを自由に行える団体ではない。みんなのために必要なことをやることが、自分のやりたいことなのだという人は、残念ながら、それほど多くはないだろう。

公共心にのみ支えられた
奇跡に近いような存在

 一般に共同防衛などの公共的な事柄は、皆そういう性質をもっている。国家や自治体が維持できるのは、税金を集めるだけの権力を有し、公務員に給料を払うことができるからである。

 町内会のような任意団体にはそのような権力も財力もない。ひたすら人々の公共心に訴えるしかない。そのような民間団体が50年以上も維持されてきたのは、奇跡に近いと考えた方がよい。しかも衰えたとはいえ、まだ半分近くの住民を組織しているのである。捨てるには惜しいが、このまま維持することはむずかしいというのが、自治会・町内会なのである。