大正時代、慶應進学を希望する学生を阻止してまで、教師たちはこぞって学生を国立校へ行かせたがったという。国立至上主義だった教育界、そして学生たちに広がった私大差別。今日まで続く東大覇権確立の裏にあった「慶應義塾大学」の苦悩とは?※本稿は、尾原宏之『「反・東大」の思想史』(新潮選書)の一部を抜粋・編集したものです。
新聞の学生投稿コーナーで
巻き起こった私大差別論争
大正の一時期、『東京朝日新聞』(編集部注/現在の朝日新聞東京本社版の前身にあたる)の「学生界」というコーナーが、学生スポーツや学生イベント関連の投書を募集していた。学生としての「希望抱負」の投書も同時募集しているので、明るくフレッシュな話題で紙面を飾る思惑があったのだろう。
だがスポーツやイベントのレポートは別にして、このコーナーの雰囲気はさほど明るくなかった。学校(生活)への不満と怨みを綴った投書がやたらと目につくからである。
高校受験失敗談や入試制度への呪詛、親族に中学進学を阻止された師範学校生(編集部注/師範学校:教員を養成する学校。戦前の日本および日本の統治地域に存在した)の嘆き、「低能扱ひ」される女学生の怒りなど、当時の教育制度の問題点や、若者の心の闇を映し出した投書が多い。
これらの投書が掲載された数日後には、同様の苦悩を抱える者や、苦悩を克服したとうそぶく先輩が応答し、ちょっとした論争になることもあった。
その中で、何度も蒸し返され、読者の強い反応を引き起こしている話題がある。私立大学とその学生に対する差別である。