霞会館の会員であることが
爵位の継承者である証し

 新憲法の下では、華族制度は廃止された。昭和天皇は、旧公家だけでも残せないかと希望された。古代から皇室と公家は一体だったし、摂関家などは、宮家より上位だったということもあり、申し訳ないという気持ちがあったようだ。しかし、これは聞き入れられなかった。

 いわゆる旧宮家を皇族から離脱させたのには、GHQの意向だけでなく、昭和天皇のそういう気持ちも理由としてあると思う。

 海外では、イギリスのように君主制がある国では、貴族も健在であるが、新たに臣民に叙爵を行うことは、1984年にハロルド・マクミラン元首相がストックトン伯爵となったのが最後だ。

 フランスやドイツでは君主制は廃止されたが、貴族は健在だ。しかし、公的に使われることは減った。フランスでは1974年に大統領となったヴァレリー・ジスカールデスタンが、エリゼ宮のイベントへの招待状に爵位を記すのを廃止した。しかし、紳士録などには堂々と爵位が書かれている。

 一方、日本では、法律で禁止されてはいないが、旧華族でもなんとか伯爵などと名乗る人はいない。ただし、旧華族会館が霞会館と名を変えて存続しており、その会員であることが爵位の継承者であると認証されたことを意味している。

 戦後は新たな叙爵がされていないから、増えるとしたら旧宮家の次男坊などを分家として例外的に新規会員に認めているだけのようだ。絶家になるところも多いし、また、経済力を維持できない旧華族も多いようだが、文化的な伝承においては一定の役割を担っている。また、皇室をバックアップするような機能をもっと積極的に果たしてもらうべきという意見もある。

(評論家 八幡和郎)