各国の制度を比較検討して
巧妙に作り上げた制度

 この制度を考案する中心になったのは、太政官制の下でナンバー2としての右大臣だった岩倉具視であるが、その経緯などについては、『日本の上流階級』(清談社Publico)という拙著で詳しく紹介し、また、詳細なリストも付したので、より詳しく知りたい方は参照してほしい。

 日本の爵位の付け方は、ヨーロッパのどこかの国の制度をそのまま輸入したのでなく、各国の制度を比較検討して巧妙に作り上げた。

 爵位は、公爵(英語でデューク、フランス語でデュック)、侯爵(マルキ)、伯爵(アール、コント)、子爵(ヴァイカウント、ヴィコント)、男爵(バロン)の五段階である。ただし、公爵はプリンスと訳していたこともあるようだ。

 ただし、華族制度は、廃藩置県以前の1869年に発足しているが、爵位は1884年に発足したもので、その年に死んだ岩倉具視の置き土産のようなものだった。国会開設に備え、貴族院をつくる必要から生まれたものともいえる。

 どのような基準で爵位を与えるかにあっては、公家、武家、勲臣をどうバランスを取るか問題だったし、それぞれの区分のなかで何を基準にしてランクを決めるのかも難しかった。