当時、福島県はさまざまな流言飛語に苦しめられていましたが、その中には、子どもが外で転んだりすると、土から放射能が入って被曝するといった“怪しげな情報”も広く流布していたそうです。

 そのため、子どもたちを屋外で遊ばせるわけにもいかず、県内の体育館に予約が殺到して、常に満杯状態になってしまったため、屋外はおろか体育館でも遊べなくなってしまった。その結果、子どもたちが運動不足に陥ったために、肥満率の悪化を生み出してるとのことでした。

 僕自身、小学2年生のときに始めたラグビーが楽しくて楽しくて、毎日泥んこになりながらグラウンドを走り回っていましたから、避難所に閉じ込められてる子どもたちのことが可哀想でなりませんでした。

 そして、こんな思いがふつふつと湧き上がってきました。
「楽天野球団として、子どもたちに遊ぶ場所を提供できないだろうか。『東北の球団だ』といくらいっても、子どもたちがこんなに悲しんでいるのに、何にもできてないじゃないか。

 それに、国や自治体は復興に向けていろいろやっているけれど、子どもたちが運動不足という問題までは手が回らない。そこはスポーツ・ビジネスをやっている俺たちの出番じゃないか。今まさに、球団としての立ち位置が問われているんだ」

 その場で佐藤知事に提案すると、「それはありがたい」と快諾してくださいましたので、すぐに楽天野球団の地域密着推進部長だった江副翠さんを担当者に任命。僕が派手に「旗振り」をする裏側で、自治体との折衝をはじめとする実務を一手に引き受けてもらうことにしました。

 そして、福島県が調整してくださった結果、相馬市に「体育館」を寄贈することが決定。僕たちは、そのプロジェクトを「TOHOKU SMILE PROJECT」と名付けて、2014年初頭に始動。子どもたちが安全な環境でのびのびと遊ぶための施設「相馬こどもドーム」を建設するために、2億円の費用をすべて募金で集めることにしたのです。

ファンの皆さまとの「かけがえのない交流」

 これに、三木谷オーナーや星野監督をはじめみんなが賛同してくれて、楽天野球団を上げてのプロジェクトとしての船出には成功。だけど、一部の社員からは、「立花さんの気持ちはよくわかりますけど、2億円を募金で集めるなんてとても無理ですよ」と言われたこともあります。

 たしかに、日常業務をこなしながら、プラスアルファで寄付を募るわけで、彼らに負担をかけるのは事実。そのことは重々承知していましたが、僕は「いいから、やってみようよ。やり遂げたら、すごい達成感があるから」と押し切りました。

 だけど、これは彼らの言っていたことが、ある意味では正解でした。
 というのは、当時はまだ、クラウド・ファンディングといった便利な仕組みもなかったので、2億円の募金を集めるのは本当にたいへんだったからです。正直、僕の想像をはるかに超えるたいへんさでした。

 僕たちはまず、楽天グループはもちろんのこと、楽天野球団のスポンサー企業から、ゴールドマン・サックスをはじめとする世界中の企業まで、考えうる限りの企業に寄付を呼びかけました。その呼びかけに非常に多くの企業が応じてくださいましたが、それだけでは到底2億円には足りません。

 そこで、約1年間にわたり、ほぼ全試合において、社員たちが順繰りに募金活動を継続。僕もできる限り球場の出入り口に立って、大きな声で募金を呼びかけました。

 すると、そんなスーツ組の姿を見たコーチや選手たちも、続々と協力を申し出てくれます。これは嬉しかったですね。スーツ組とユニフォーム組が一緒になって募金を呼びかけることで、自然と「同志関係」ができていきますし、選手も呼びかけてくれると、ファンの皆さまの反応も変わってきます。こうして、だんだんと募金活動に「熱」がこもるようになっていったのです。

 何よりも嬉しかったのは、募金活動をすることで生まれたファンの皆さまとのコミュニケーションです。
 たとえば、僕が試合前に募金を呼びかけていたら、「福島出身なので、こういう活動をしてくれて本当に嬉しいですよ。ぜひ、相馬の子どもたちのために使ってください」と言いながら、1万円を募金箱に入れてくださる方がいらっしゃいました。

 あるいは、あの大震災でお子様を亡くされたご夫婦が、「いまの楽しみは楽天野球団しかありません。応援してますよ」と言いながら募金してくださったこともありました。これには「ありがとうございます」とお返事するのが精一杯。深々と頭を下げながら、涙がこぼれるのを隠していました。

 このような経験をしたのは、もちろん僕だけではありません。
 ほぼすべての社員や選手たちが、募金をしてくださったファンの方々と、何かしら心の通い合うようなコミュニケーションが取れたはずです。おそらく、それは各人にとって「かけがえのない経験」になったと思うし、球団にとってもきわめて貴重な財産になったと思います。

「利益」よりも大切なこと

 そして、1年もの間、球団をあげて募金を呼びかけることによって、当初の目標である2億円をなんとか達成することができました。
 2014年12月に完成した「相馬こどもドーム」のなかを、大勢の子どもたちが楽しそうに走り回るのを見たときには、心から感動するとともに、全力で募金を呼びかけてくれた社員や選手たちと、それに応じてくださったファンの皆さまへの感謝の気持ちが込み上げきました。

 僕に「2億円を募金で集めるなんてとても無理ですよ」と言った社員も、うっすらと涙を浮かべているように見えたので、僕は「ほら見ろよ、やってよかっただろ?」と声をかけると、無言で頷いていました。

 この経験は、僕にいろいろな示唆を与えてくれました。
 企業経営とは何か? 言うまでもなく、お客さまに喜んでいただくことで「利益」を得て、それを再投資することで、さらにお客さまに喜んでいただく。この無限循環をぐるぐると回し続けることにほかなりません。

 しかし、それはあくまでも「経営」に欠かせない一側面であるにすぎないのではないかと思ったのです。もちろん、「お客さまに喜んでいたくことで『利益』を得る」というだけで、その企業には社会的な存在意義があると言えるわけですが、それだけでは足りない「何か」があるように思うのです。

リーダーが「社会貢献」をすべき理由

 それは何か? 僕もまだ模索中です。
 ただ、おそらく「精神的」なものではないかという気がします。

 あらゆる企業には、何らかの「社会的使命」があるはずで、その「使命」を純粋に追求することによって、はじめて得られる「精神的な充足感」のようなものがあるのではないか。そして、そういうものがなければ、企業活動そのものに「自信」がもてないような気がしてならないのです。

 たとえば、楽天野球団であれば、「野球というスポーツを通して、東北を元気にする」という使命があります。
 しかし、僕は社長になった当初から、その使命を声高にアピールしていましたが、内心では「それは本当か?」という自分の声に苦しんでいました。だからこそ、僕は、体育館を使うことができず、外でも遊べない子どもたちがいると知ったとき、たまらず「相馬こどもドーム」をつくるという行動を起こしたのだと思います。

 そして、完成したドームで楽しそうに遊ぶ子どもたちを見て本当に嬉しかったのですが、実はあのとき、救われていたのは僕の方だったのかもしれないという気がします。なぜなら、以前、苦しめられていた自分に対する不信感を克服して、社長として多少は「自信」をもつことができるようになったからです。

 だから僕は、リーダーが率先して、自社の「使命」を追求するために、積極的に「社会貢献活動」をしたほうがいいと思っています。

 自分たちの会社の「利益」「実績」だけを追い求めるのではなく、自分たちの会社の「使命」を純粋に追い求める。それができたときにはじめて、自分たちの会社には社会的な存在意義があるという、企業経営にとって最も根源的な「自信」が与えられるのではないかと思うからです。

(この記事は、『リーダーは偉くない。』の一部を抜粋・編集したものです)