なぜそれほどゴミが出なかったかというと、徹底的に物を使うという価値観をみんなが持っていたからです。鎖国をしていた日本には外から物が入ってこないため、現代で言うところのリユース、リデュース、リサイクルが市民の当たり前の感覚でした。

 そのため、おのずと修繕が職業としても立ち上がってきます。江戸の町人の主な職業は修繕業やリサイクル業でした。鍋の穴を修繕する焼き継ぎ屋、下駄のすり減った歯を交換する下駄直しなど、修繕業は3000種にのぼったとも言われています。

 職人は、物をどれだけ人間にとって有用に加工できたかを競い、庶民は、その物をどれだけ長く使えたかがモラルとなっていました。今日重要視される労働生産性ではなく、いわば、“資源生産性”を目指す社会であったと言えます。

 このように、江戸の町では排泄物は肥料として近郊の田畑に戻され、ゴミの量も少なかったために、川の水も綺麗に保たれていました。大都市の中を流れていたにもかかわらず、隅田川では花見の時期に屋形船でシロウオの踊り食いが行われていたと言います。それほど水が綺麗だったのです。