「同期のアイツの方が出世が早い」→住職の教え「嫉妬の反対語は…」が納得感しかなかった!写真はイメージです Photo:PIXTA

怒りの感情は、時にさまざまな形になって現れる。特に不安や憎しみなどの感情が混ざることで生じる「嫉妬」という怒りは、仏教界においても、扱いが難しいとされる心の混乱状態で、その対象者のみならず嫉妬心を抱く本人をも苦しめるという。誰もが持っている「嫉妬」の感情と、私たちはどのように向き合えばいいのだろうか。※本稿は、大愚元勝『自分という壁 自分の心に振り回されない29の方法』(アスコム)の一部を抜粋・編集したものです。

さまざまなネガティブ感情が
複雑に絡み合う「嫉妬」

「自分の好きな人がほかの人と付き合ってしまった」

「職場で若くてきれいな同僚だけがチヤホヤされている」

「友達がSNSに楽しそうな投稿をたくさんしている」

 このような場合、相手に対して「羨ましい」「妬ましい」という嫉妬の感情が湧いてしまうことがありますよね。
 
 意外に思われるかもしれませんが、仏教において嫉妬は「怒り」のグループに分類されています。

「いいなぁ」と相手を羨みながらも、ほかの人が幸せであることに強い怒りを感じている。

 それはいったい、どういうことなのか?

 好きな相手を自分のものにしたい。

 周りから好かれたい、もっと良い扱いを受けたい。

 人よりも充実した楽しい生活をしたい。

 これはなにかに近づきたい、手に入れたいと願う「貪(欲望)」の気持ちが働いているということです。

 でも、好意を寄せている相手や職場の仲間たちは、私ではないほかの誰かに愛情や関心を向けている、友達や知り合いが私よりも楽しそうな生活をしている、「そんなことは許せない!」という怒りの感情を持ってしまうわけです。

「嫉妬」には、怒りだけでなく、不安、憎しみなどさまざまな感情が複雑に絡み合っていることも大きな特徴といえるでしょう。