疑問をもたない日常の積み重ねが
今の日本を作っているのかもしれない
それはそのような制度の利点として、占領軍が日本人をコントロールしやすかったからではないでしょうか。
何をするにも官憲の許可がいるように社会制度を作っておけば、国民はあまり勝手なことはできないし、目に余る場合にそれを止めさせるのも簡単です。
このような制度は戦前の軍部の支配が強まった頃にすでに日本社会に浸透していた制度ですが、占領軍はそういった都合のいい制度はそのまま利用したのでしょう。
若い方はあまりピンと来ないかもしれませんが、団塊の世代よりも上の高齢者が若かった頃、彼らのバイタリティには凄いものがありました。占領軍も逆コース時代は労働組合の力をどう削ぐかに腐心しましたし、独立後は60年安保を頂点に学生運動の実力行使を抑え込むのに官憲は大変な労力を割きました。
歴史としては70年安保で安田講堂が陥落したのを境に、日本人はしらけ世代へと変貌します。子どもたちは学校では何をするにも先生に許可をもらうように育ちます。わたしの世代の話ですが、許可なしに何か勝手なことをやっているとすぐに先生が体罰を見舞ってくるので、子どもたちはおとなしくなったものです。
こういった社会をわたしたちは別におかしな社会だとは自覚していません。何かをやるときは上に伺いをたてるのはビジネス常識として当たり前です。
官庁は官庁で何か新しいものが生まれたら、それをいち早く自分たちの影響下におくために業法を作るのが当たり前だと思っています。
そういった何も疑問をもたない日常が積み重なって今に至っているのですが、そんなときにアセモグル教授らがノーベル経済学賞を受賞したのです。せっかくなのでその植民地経済理論をじぶんたちの国の現在や未来に当てはめて反省してみるのも、たまにはいいのではないかと感じた次第です。
まあ全体的にはアメリカに感謝すべきことが多い話だとは思いますが。