私はやりたいことが見つからない、と悩んでいる読者に向けて『物語思考』(幻冬舎)という本を執筆したことがある。

 この『物語思考』の中でも前述の方法を勧めている。いかに、なりたい姿を鮮明に想像できるのか? は、なりたい姿になるためにもっとも大事なことの1つであるとすら考えている。

 実際、私も大学受験時に、入りたい大学の在籍者のふりをして、インターネット上でさまざまな受験生にアドバイスをしたり、合格体験記を大量に読んだ後に自分で書いてみたり、実際に自分で大学に出向いて大学生のふりをして歩いたりするなどの行動をとっていた。

 なので、この「なりたい状態の解像度を上げていく」という点については心から賛成なのだが、この本を読むまで、1つの重要な観点が抜けていたことに気づいた。

 それは「その未来の姿が、自分と連続した存在であり、赤の他人ではなくて、自分だと思えるのか」である。

未来のことなど気にしても仕方ない?

 正確に言うと、本書の中に「未来の自分は、ある程度は赤の他人である」のような表現が出てくるように、未来の自分はやはり他人のようなものである。しかし、まったく関係性がない赤の他人であるか、非常に親密な存在であるかで、自分の行動が変わると本書では主張している。

 たとえば「未来の自分を他人だと感じ、なおかつ利己的に行動する傾向があるのなら、未来の自分の利益などおもんぱかれるはずもない」と書いてある。

 わかりやすく言えば、未来の自分を他人だと思っていたら「ケーキやラーメンを夜中に食べても、それは(他人のように感じる)未来の自分が困るだけだ」となってしまう。つまりは、自分に害があることも平気で実行できてしまうわけだ。

 逆に、遠い未来の自分に親しみを感じる人は、大事にするはずである。自分自身だと思えなかったとしても、自分と親しい人間だと感じるなら、その人が困るようなことはしないからだ。実際に、未来の自分とのつながりを感じている人ほど、貯蓄額が多く、経済的に豊かであることが判明した、と本書には書いてある。