東京都によるメトロ株売却の
切り札となった豊洲~住吉間の建設

 東京メトロは10月23日に念願の株式上場を果たしたが、最後のハードルとなったのが東京都だ。2004年の民営化時点では副都心線の開業後、できる限り速やかに完全民営化する想定だったが、石原都政、猪瀬都政が株式売却を拒否し、都営地下鉄との経営統合を主張したことで上場は暗礁に乗り上げた。舛添都政、小池都政は一元化論を事実上、封印したが、メトロ株は引き続き交渉カードとして温存された。

 そんな都の首を縦に振らせたカギが、有楽町線分岐線豊洲~住吉間であった。そもそも交通営団は地下鉄建設の促進を目的とする、債券発行や財政投融資などの資金調達や、補助金の交付が可能な特殊法人であり、その民営化は新線建設の終了が前提だった(副都心線は民営化方針決定後に追加されたため民営化後の開業となった)。

 その中で微妙な立ち位置にあったのが、1982年に免許申請した豊洲~亀有間だった。同区間は認可されないまま民営化を迎えたが以降、メトロは「輸送需要予測の減少など免許申請時とは事業環境が異なってきたことから、整備主体となることは極めて困難」として「副都心線を最後として、今後は新線建設を行わない」との見解を示していた。

 しかし、南北軸の整備を40年以上求めてきた江東区は新線を諦めず、2007年以降、独自に調査、検討を重ねてきた。2011年には都と、豊洲市場受け入れの条件として「地下鉄8号線(有楽町線)の延伸を含む交通対策」に合意し、同区間は政治問題に格上げされた。

 この経緯を踏まえれば、豊洲~住吉間は都が責任をもって建設するのが筋だが、多摩都市モノレールや大江戸線の延伸を抱える中、支出はできる限り減らしたい。そこでメトロ株売却を切り札として、豊洲~住吉間の整備主体となることをメトロにのませたというわけだ。