このフレーズには、ふたつの学ぶべきポイントがある。

 経典の言葉をかいつまんでいえば、「苦しみを知れば、苦しみから解放される」と単純な理屈になる。しかし、「わかっちゃいるけどやめられない」というのが日本的な感覚ではないか。たとえば、お酒が好きな人なら、「お酒を飲んだら次の日がしんどい」「肝臓の数値が悪くなる」とわかっていても、ついお酒に飲まれてしまう。

 つまり、お釈迦さまが弟子に語った時の「知る」と、私たちが用いる「知る」の質が違う。私たちは「頭ではわかってるんですけど……」と反省の弁を述べることがあるが、お釈迦さまからすれば「行動が変わらないような薄っぺらい知は、知と呼べない」のである。

 お釈迦さまは、弟子を教え導く時に人間の知性に大きな希望を見ていた。思考を調えていけば自然と人生の質は変わっていくと信じていた。

貧富の差が広がる日本で
“シングルファザー”であること

 そしてもうひとつは、この言葉が語られた時代背景である。すでにいわゆるカースト制度が定着していたインドにあって、生まれた境遇のために人生に悲観的になることを戒めている。出自を嘆いたところで何も生み出さないが、目の前にある苦しみを冷静に見つめて少しずつ解決していけば、人生の質はその分だけ変えられる。