日本はイランの教訓に学べ
イランによるミサイル攻撃への報復として、イスラエルは10月26日未明、イラン南西部と首都テヘランの軍事施設を攻撃した。イランとイスラエルの軍事的応酬は、一体いつまで続くのか。両国の意図と目的は何なのか。平静を保ちながらも不安を隠せない様子のイラン人たちのあいだには今、さまざまな憶測が飛び交っている。
そこで必ず聞かれるのは「ショアーフ」、すなわち「茶番」というペルシア語である。いわく、イランとイスラエルの直接攻撃は、両国の軍需産業を活性化するために必要な「軍事演習」に過ぎないのではないか……。いわゆる軍産複合体こそ平和の最大の障壁であるとする見方は、日本では「陰謀論」と片づけられがちだが、イランでは決して突飛な考え方ではない。
さらに彼らは言う。「このタイミングで協調外交を説くペゼシュキアンが大統領になったのも、一連の『演習』を戦争に至ることなく完遂するために必要だったからだ。対外強硬派のライシ前大統領は、この目的のために『消された』のだ」と。……まったくイラン人の想像力のたくましさには舌を巻くが、あらゆるニュースを疑ってかかり、常に情勢を自分の頭で解釈しようとする彼らの姿勢は、日本人も見習っていい。
一方、イランとイスラエルの争いが「演習」でなかったとしても、日本人がそこから得るべき教訓は少なくない。
第一に、戦争というものは、必ずしも政府と国民の望むタイミングでやって来るわけではないということである。すでに述べたように、現在のイランは、イスラエルとの全面戦争を有利に運べるような状況にない。しかし、イスラエルの側は、まさにそのタイミングを狙ってイランを戦争に引きずり込もうとしているように見える。
第二に指摘したいのは、いわゆる友好国や同盟国を信用しすぎることの危険性である。イランの場合、最大の友好国であるロシアはウクライナ戦争で手一杯のため、目下のところロシアからの軍事的支援を全く受けられずにいる。イラン側はロシアの求めに応じて多額の支援を続けてきたにもかかわらず、である。
同じことは、2カ月の沈黙を守ったイランについても言える。ハマスやヒズボラからすれば、この間の膨大な人的・物的犠牲をイランが見て見ぬふりをしてきたことは、裏切り以外の何ものでもなかった。
第三は、戦費によって圧迫される国庫の問題である。イラン政府は来年度の軍事費を、今年度の3倍程度と見込んでいる。制裁により石油収入の落ち込みと外貨不足に苦しみ、実質賃金の低下で国民生活が困窮する中で、軍事費を3倍増する……それはまさしく「亡国予算」と言うべきものである。