世界最大の帝国が日本に迫る

本の虫課長 遊牧民であったため、装備が軽く機動性に優れていたのでしょうね。幼少の頃から馬を乗りこなしているから、主体性と判断力もあったのではないかと思います。対してヨーロッパの騎士や中国の兵は、装備が重い上に命令がないと動けない。そのためあっという間に壊滅してしまう。もちろん他にも理由は多々ありますが。

 東欧の次は西欧を攻めようとしますが、本国でオゴタイ・ハンが死去したため撤退します。5代目のフビライ・ハンのとき、いよいよ南宋攻略を本格化します。しかし150年間中国を支配してきた南宋の抵抗は激しく、戦いは膠着状態。戦況の打開を図ろうと、南宋の西側に位置する大理国を征服。東側は朝鮮半島を統治していた高麗を支配。南宋の退路を断ちます。

 モンゴルはさらに海からも侵攻できるよう、高麗だけでなく日本も服属させて海軍を組織しようとしました。海軍を持たないモンゴル帝国にとって、海上艦隊の確保は喫緊の課題だったのです。

 1268年、フビライの使者が国書を持って九州の大宰府に到着します。国書には「日本は高麗や中国と交流があるが、ワシには使者をよこさない。世界の状況がよく分かっていないのだろう。今後は仲良くやろうではないか。ワシも兵を使いたくはないのだ。よく考えよ」と書かれていました。

泉岡マリ ものすごく上から目線! でも、地球上の陸地の約25%を支配する大帝国ですものね。こんな小さな島国に対して最初から下手に出たらナメられますものね。そりゃ「やれやれ」感を出していきますよね。

本の虫課長 はい。でも日本はスルーします。モンゴル帝国は何度も使者や手紙をよこしますが、全て無視します。

渡辺フミオ まさかの既読スルー! 事態の重さを理解しているのでしょうか?

本の虫課長 日本は18歳の北条時宗が執権に就任したばかりでした。南宋の僧侶からモンゴル帝国の脅威を聞いていたので、返事の有無にかかわらずきっと攻めてくると考えていたのでしょう。「武力をちらつかせるとは無礼」と使者を追い返し、全国の御家人に守りを固めるよう注意喚起します。時間を稼ぎながら守りを固めていたのですね。こちらから攻める案もあったようですが。

泉岡マリ え! 時宗、勇敢過ぎる! でも武士であれば戦いを選びそうですね。