この時、阿部は24歳。キャプテンは、阿部がこれから調査と形を変えた新たな捕鯨を背負うと確信していたのだろう。ベテラン船員の間でも、阿部が後継者だという共通認識ができていたのかもしれない。
しかし本人の意向も確かめずに会社の転籍を決めてしまったのだ。冗談のような話だが、おおらかな時代背景と、ベテランたちが阿部に寄せた期待を感じさせるエピソードだった。
こうして1987年12月から翌年4月まで、はじめて南極海での調査捕鯨が実施された。初年度に設定した枠は300頭。実際は237頭のクロミンククジラを捕獲する。2年目以降から捕獲枠は最大330頭に拡大された。
商業から調査へ。捕鯨の形とともに、船の名称も変わった。捕鯨母船は「調査母船」に、キャッチャーボート(編集部注/母船に付属して鯨を捕らえる役の船)は「目視採集船」と呼ばれるようになる。
鯨肉は調査を終えたあとの“副産物”として扱われるようになった。
現場では、何が変わったのか。
「異なる点はルールだけです」と阿部は言う。
「調査になって厳密な捕獲のルールは決められましたが、我々にとって、クジラを探して、捕るという行為自体に変わりはないんですよ。その意味ではさほど戸惑いはなかったですね」