皮膚や髪の毛の有無以外に
ヒトと頭蓋骨を分けるポイントは?
この日のイベントでは、山本館長の博物館の説明のほかにも、日本顔学会の研究会で知り合った顔相鑑定士の池袋絵意知氏や歯科医師のお話し、ハロウィンの仮装コンテストなどのイベントもありました。
また、宝塚医療大学の張建華教授がスライドを使って、頭蓋骨の骨の種類や仕組み、その機能について、丁寧でわかりやすく解説をしてくれました。その際に、参加者への説明に使っていた本物のシャレコーベを手に持たせてくれましたが、思ったよりも軽く感じました。
張建華教授によると、骨の水分は若干失われるが、そのままの形で長く保存することができるとのこと。実際には、生身の人間よりもシャレコーベの方が長い間残り続けるのかもしれないと思いました。
一緒に参加している人の顔や頭と、シャレコーベを交互に見ていると、奇妙というか、少し不思議な気分になってきました。両者の違いは何だろうと考えたのです。言葉にすれば、「ヒト」と「モノ」の違いですが、その区分はどこにあるのでしょうか。
皮膚や髪の毛の有無はもちろんですが、直感的には、生命のエネルギーや魂のようなものの有無がポイントになりそうな気がしました。葬儀の時に、棺桶に入った人は「ヒト」なのか「モノ」なのかが頭に浮かび、骨壺に入ると「モノ」になるのかと連想しました。
初めの課題意識であった、白骨化した遺体から顔を再生する「復顔似顔絵(イメージ画)」は、「モノ」を「ヒト」に近づける作業といえるかもしれません。
こうして考えてると、河本教授の「シャレコーベを通して、ヒトとは何か、人生とは何かなど、人間の探求に迫るものがあるのではないか」という趣旨を少しは理解できたような気もするのです。
一つ思い出したことがあります。私は小さい頃、神戸の歓楽街で過ごしました。銭湯に行く途中に、ギターを持った流しのオジサンが、当時、城卓矢の『骨まで愛して』をよく歌っていました。「ヒト」も「モノ」も関係なく、自分のすべてを愛してほしいと願う歌が大ヒットしたのは当然かもしれません。
河本教授も「骨を愛した」だけではなく、「人間とともにシャレコーベを愛した」のだという思いに至りました。とても良い午後のひとときを過ごすことができました。