また、アメリカ的な経済発展は格差の拡大を伴います。その結果、白色革命に反発し、人々が平等だったとされるムハンマドの時代のイスラム社会に戻るべきだという動きが高まります。それが1979年に起きたイラン・イスラム革命です。

世俗の国王の近代的な統治より
預言者の血による専制を求めた

 この革命を主導したのはイスラム法学者のルーホッラー・ホメイニ師でした。「師」とはイスラム法学者の敬称です。イスラム法学者の「法学」とは、私たちがイメージする法学とは異なります。『コーラン(クルアーン)』やムハンマドの言行録である『ハディース』の研究を長年にわたって究め、イスラムの教えを人々に伝えたり、指導したりすることのできる人のことです。

「師」と呼ばれる資格を持った人は、頭にターバンを巻いて他の人と区別されます。一般には白いターバンですが、ムハンマドの血筋を引くとされる人は黒いターバンを身に着けます(編集部注/ホメイニもムハンマドの直系子孫を称する家系に生まれている)。

 彼はパーレビ国王の白色革命を批判したことから逮捕されたこともあり、国外追放処分を受けてフランスで亡命生活を送っていました。イラン国内で反政府運動が高まると、ホメイニ師は英雄として帰国。ホメイニ師が主張するイスラム法学者による政治体制が作られます。

 それまで世界は近代化が進むものと思っていた人たちにとって(私も含めてですが)、1400年前のムハンマドの時代に戻ろうという主張は驚きをもって受け止められました。

 この革命で国外に逃げ出したパーレビ国王はエジプトやモロッコを転々としながらアメリカへの亡命を求めます。イランとの関係悪化を懸念したアメリカのジミー・カーター大統領は、これを拒否していましたが、国王の体調が悪化したため、治療を目的として入国を許可します。

怒ったイランの学生たちが
アメリカ大使館を占拠した

 これに反発したのが、イランの学生たちです。独裁に手を貸してきたアメリカは、我々が追い出した独裁者を助けた。怒った学生たちは1979年11月、首都テヘランにあるアメリカ大使館を襲撃して占拠。約50人の大使館員などを人質にとり、444日間立て籠る事態となります。