その後、数週間を経て、上野くんはMさんへの気持ちを僕に教えてくれた(もうバレバレだったけど)。上野くんはナイスガイだ。明るくて、よくしゃべる。講義後もよく質問に来る。3年生になったら金間ゼミに入りたいとのことだ(このときは2年生の春)。
あの日、Mさんから相談を受けた流れで、ふたりはそのまま学食へ行ったそうだ。相談の内容は、Mさんが転学部を考えているとのこと。そして転学部先の候補として、僕や上野くんが所属する学部を考えているとのことだ。
意味がわからない人のために簡単に説明すると、本来、大学受験は学部や学科ごとに行われる。X大学Y学部を受験する、といった具合だ。したがって、入学後に別の学部学科へ移ることは認められない(受験科目が違うのだから)。ただ、入った後に「やっぱり自分が勉強したいのはこっちだ!」と気付く学生もいる。そんな学生のために、転学部・転学科制度を設置している大学は多い。具体的には、筆記試験や面接を課して、合格したら認めるという感じだ。
実際、僕の講義を受けて、「やっぱりこっちの方が面白い!」といって転学部を希望する学生が多く、僕はちょっと困っている(誰か、このうぬぼれ屋さんを何とかしてください)。
エスカレーターの一段に無限の宇宙を感じる
あるとき、上野くんがMさんのことで相談に来た。むろん、Mさんの転学部の件ではない(そのことはあっという間に決着がついたらしい)。
上野くんはMさんとの「学食対話」のあと、(知恵と勇気を振り絞って)何度かMさんと食事に行ったらしい。それを踏まえた彼の相談を整理するとこんな感じだ。
「たとえばふたりで街を歩いていると、エスカレーターに乗る場面ってあるじゃないですか。そういうときは必ず乗る直前にMさんが少し引き、僕が前に出る形になるんです。別に急いでないので、エスカレーターの左側に立って乗るかたちで。で、話しかけようと思って後ろを振り返ると、Mさんは一段あけて立ってるんです。先生、これってどう思いますか?」
は? 何言ってんだ、上野よ。
と思ったが、続きを聞いてみる。
「だって、エスカレーターですれ違う彼氏彼女とかって、大抵すぐ次の段に立ってるんですよ。でもMさんは必ず一段あけてて……。もう最近エスカレーターが怖くて」
なるほど、たかが一段、されど一段。この一段から宇宙空間レベルの心の距離を感じ取っているわけか。上野くん、若いのによく見ている。その一段がふたりの関係のすべてを物語るという仮説、案外正しいかもしれない。
男性は好きな女性に告白したい。告白してお付き合いしたい。でもお付き合いできないなら告白しない。一度告白して失敗したら、すべてが終わる。
だから最低でも成功確率80%はほしい。できれば90%以上。それでも今の若者にとってはリスクは高い。
「100%合格」以外はハイリスク。それがZ世代の特徴だ。
上野くんは男性だ。そしてZ世代でもある。よって、上野くんもこの法則に従う。上野くんはMさんに告白したい。告白してお付き合いしたい。
そこに「エスカレーターの一段」が立ちはだかる。その「一段」が、成功確率80%以下であることを宣告し、彼を躊躇させる。