殺到する株主からの電話に
整備部門の社員も
JALエンジニアリングの羽田部品整備センター 機装品整備部 機装課課長の末広聡は1982年の入社。入社以来、四半世紀にわたって、部品の整備に携わってきた。
末広が所属する整備部門は、文字通り航空機の整備が仕事であり、乗客と直に接する機会はほとんどない。その末広たちも破綻した日の翌週から、20人規模でコールセンターの応援に駆り出された。殺到するJAL株主たちからの電話に対応するためだ。
末広 私たち整備は機械とか部品が相手なので、お客さまと接する機会がほとんどありませんでした。ましてや株主の方と接する機会はありません。だから、コールセンターで聞いたお客さまからの生の声は、すごく衝撃的で、いまだにそれは頭の中に焼きついています。私は一日だけの対応だったのですが、お客さまの声を聞き、「これは本当に申し訳ないことをした」と感じたことが、自分自身の意識が変わるスタートになりました。
倒産という一種の異常な事態が、JALの社員たちに、自分たちがどのように見られていたのか、自分たちはどのような状況にあったのか、それを知る機会を与えた。それが再生へのスタートとなったのである。稲盛名誉会長もまた、JAL社員に対して、本来ならば職探しをしなければならない立場にあるということを、強く認識させた。そのことによって、意識変革に向けた土壌が出来上がっていったといえる。