社員の心の拠り所となった
JALフィロソフィ
そのような中、彼らの心の拠り所となったのが、JALフィロソフィである。JALフィロソフィは、各職種の専門性が高く、縦割りの壁が厚かった社内の壁を突き崩す「共通言語」となった。
JALフィロソフィ手帳の第1部は「すばらしい人生を送るために」と題され、人生に対する考え方や取り組む姿勢など、個人の価値観や人生観にまで踏み込むような目標が多い。
不安を抱える中で、「すばらしい人生」と言われても、ピンとこないのではないか。違和感はなかったのだろうか。1987年入社でチーフキャビンアテンダント吉川陽子が、そのあたりの心の変化を説明する。
吉川 正直、初めはどういうふうに自分の中に(JALフィロソフィを)入れていけばいいかなと思ったのですが、今はJALフィロソフィの一つひとつが仕事にも生きていく上でも関係している、と思っています。押しつけられている感じはありません。読んでみると、「納得できるな」という内容が多いので。
きっとこういうこと(経営破綻)があって、みんな何か「共有できるもの」を求めていたと思うんですね。心の部分でもやはり、みんな不安があったので、気持ちを何か一つのものに向けていくという点では、ものすごく大きな力になりました。
JALフィロソフィによる共通言語は本社の枠を超え、グループ会社にも広がっている。
考えてみれば当たり前なのだが、顧客から見れば、JALの制服を身につけていれば、本社の社員であろうが、グル-プ会社の社員であろうが、関係ない。
グループ会社のJALグランドサービス大阪の西谷美紀は2005年の入社。伊丹空港で手荷物業務などを受け持っている。
西谷 それまではみんなの共通言語っていうか、そういうものがありませんでしたが、JALフィロソフィができてから、「何ページの何々みたいにやりましょう」と言えば、みんなが共感して一つにまとまります。心ひとつに、みんなが同じ目標、同じ感情、同じ価値観を共有できるようになったな、と感じます。