「あなたは人生というゲームのルールを知っていますか?」――そう語るのは、人気著者の山口周さん。20年以上コンサルティング業界に身を置き、そこで企業に対して使ってきた経営戦略を、意識的に自身の人生にも応用してきました。その内容をまとめたのが、『人生の経営戦略――自分の人生を自分で考えて生きるための戦略コンセプト20』。「仕事ばかりでプライベートが悲惨な状態…」「40代で中年の危機にぶつかった…」「自分には欠点だらけで自分に自信が持てない…」こうした人生のさまざまな問題に「経営学」で合理的に答えを出す、まったく新しい生き方の本です。この記事では、本書より一部を抜粋・編集します。
20代で「何をしたいかわからずいろんなことを試す」のはダメ?
皆さんの周りの若手で、「ああでもない、こうでもない」と腰が据わらずにいろんなことを試しては止めるという人はいないでしょうか? こうした人を見れば、誰もが「大丈夫かな?」と思うはずです。
なぜなら、短期的に考えてみれば、とにかくひとつの仕事に打ち込むことが、本人の成長(=人的資本の獲得)や、信用の形成(=社会資本の獲得)という点では合理的に思えるからです。
でも、本当にそうでしょうか?
結論から言うと、人生では「短期の合理より長期の合理が大事」です。これは経営戦略論の核心に関わる話です。
この「短期の合理と長期の合理」という点について考えた時、いつも思い出してしまう二人のピアニストがいます。
早すぎる成功は危険? ピアニスト二人の対照的な人生
一人は米国のヴァン・クライバーン、そしてもう一人がイタリアのマウリツィオ・ポリーニです。この二人の対比は「あまりにも人生の早い時期に名声を得てしまうと、その後のキャリアを台無しにしかねない」ということを鮮やかに見せてくれます。
1958年、当時東西冷戦の真っ只中にあったソ連で開催された第一回チャイコフスキーコンクールで、満場一致で優勝したのが米国のピアニスト、ヴァン・クライバーンでした。この時、クライバーンは弱冠23歳。東西冷戦下のこともあり、凱旋帰国したクライバーンは熱狂的と言っていいブームを巻き起こし、一夜にして米国の英雄になります。
この直後にクライバーンがリリースしたチャイコフスキーのレコードは、ビルボードのアルバムヒットチャートの1位になりますが、クラシックのレコードがビルボードの1位にランクインしたのは、後にも先にもこのクライバーンのレコードだけですので、いかに当時の「クライバーン・フィーバー」がすごかったかがうかがえます。
ところが、このクライバーンは、この直後から全世界を駆け回って過密スケジュールでコンサートをこなし、短期間に莫大な報酬を稼いだものの、じっくりと時間をかけて音楽性を深める時間が取れなかったために、ピアニストとしては結局、大成しませんでした。
クライバーンは、まさに「短期の合理」を優先したことによって「長期の不合理」を犯してしまったのです。
一方のマウリツィオ・ポリーニは、クライバーンよりもさらに若い18歳で、1960年のショパンコンクールに優勝します。この時、審査委員長を務めていたルービンシュタインから「審査員の誰よりも、すでに演奏テクニックという点では上」と評価されるほどに、そのテクニックは際立っていました。
さて、弱冠18歳で国際的な名声を獲得したポリーニですから、さぞや華々しい20代を送ったのだろうと思いきや、さにあらず。ポリーニは、ショパンコンクールで華々しいデビューを飾った後、十年ほど、表立った演奏活動からは遠ざかって半ば隠とんしてしまいます。
このあいだにポリーニは、大学で物理学を学んだり、ピアニストのミケランジェリに師事したりと、すでに世界最高水準にあったテクニックに加えて、人間としての幅、あるいは音楽性を深めるための研鑽を続けたのです。
その後、ポリーニが満を持して国際的な演奏活動を開始し、レコードを出したのが1971年、つまりコンクールで優勝してから11年後のことでした。
以後、ポリーニは着実にピアニストとしてのキャリアを積み重ね、2024年に亡くなるまで、長いこと「世界最高のピアニスト」という不動の評価を得ていました。
ポリーニがショパンコンクールで優勝した後、ポリーニの国際的な名声を利用して、金儲けをしてやろうという人が後を絶たなかったであろうことは想像に難くありません。勉強やピアノの練習の時間を演奏活動に投下していれば、短期的に巨万の報酬が得られたでしょう。
しかし、ポリーニはそれを敢えてせず、経済的報酬の伴わない活動に、20代のほとんどの時間を費やしたのです。
ポリーニが実践してみせた「人生の経営戦略」には、先述した「短期の合理は長期の不合理」「短期の不合理は長期の合理」という示唆が多分に含まれているように思います。