が、30歳も年下の記者にそれだけの心配りができるのは、大したものです。だからこそ、長期間、読売新聞や新聞界のトップの座に座ることができたのでしょう。人生の達人であることは間違いありません。
私は渡邉氏の若いときを知りませんが、月刊文春の赤坂太郎の匿名筆者であったことはご本人も書いているし、私にもアケスケに語ってくれました。「あの原稿料のお陰で、随分幅広い取材ができたよ」と愉しそうに語るのですが、ご自分が幹部になってからは、記者の雑誌へのアルバイト原稿は厳禁。社を経営する幹部になってからは、別人格のように独裁色を強めていきます。
社の携帯の電源を
決して切ってはいけない理由
10年ほど前ですが、ある読売幹部からこんなボヤキを聞きました。「社から支給された携帯電話は絶対電源を切ってはいけない」のだそうです。休日でも、です。
新聞記者だから、いつでも事件に対応するためなのかと聞いたら、全然理由は違いました。「いや、記者の動きが監視されているのです。機密を持つ国家公務員と会って取材したネタなどが元で、取材相手が国家公務員法違反で逮捕されないように、見張られている」
私は開いた口が塞がりませんでした。記者であれば、国民に対して機密にするとまずいような出来事は暴露するのが仕事です。実際文春にも、国家機密を持つ公務員と接触するのに苦労して、一度首都圏から出て別の携帯電話で電話し、首都圏外で会って取材するといった行動をとっている記者がいます。そのための取材費も当然負担していましたから、これでは大メディアが衰退するはずです。
日本の新聞がどんどんつまらない中身になって行ったのは、こうした自主規制が原因だということは一応わかっているつもりでしたが、その弊害はここにきて、兵庫県知事選などではっきりしてきました。それでも、渡邊氏は終生「主筆」を名乗り続けました。私は晩年の彼を取り巻く環境は、「主筆」と言えるものではなく、単なる独裁者に対する社員たちのご機嫌取りだったと思います。