経営者としては微妙
野球界のリーダーとしては……

 それでは、経営者としてはどうだったのでしょうか。

 確かに、ずっと部数が1位だった朝日新聞を抜き、1000万部を達成して、新聞界をリードする会社を築きました。しかし、読売新聞が部数を増やしている時期、日本のメディアの状況はよくなったのでしょうか。新聞のスクープやキャンペーンによって首相が退陣したり、大臣が辞めたりすることは、それほど起こっていません。

 むしろ、今「一部週刊誌」などという表現でしか引用しなかった週刊誌のスクープ記事に便乗して(さすがに「週刊文春によると」と引用先は明示するようにはなりましたが)、紙面を作るメディアが増えました。自分でリスクを冒さないサラリーマン記者とサラリーマン経営者が増えてしまったのです。

 つまり、読売新聞は権力者にとって安全な牙のない新聞となり、権力の監視という重大な使命を忘れつつある存在になりました。渡邉氏の新聞業界での発言力も大きいものでしたが、紙面で消費税賛成を言いながら、新聞だけは軽減税率で済みました。こんなメディアを国民は信用するでしょうか。

 そして、野球界のリーダーとしては最低だったと言えます。彼は野球のことは詳しく知らず、巨人が勝つと喜んでいたとどこかのコラムに書いてありましたが、つまりは読売新聞の拡販材料としての巨人軍のチケットが大事なだけであって、球界の発展や、かつての読売巨人軍のスローガンであった日米決戦など、まったく無視。

 ドラフト制度は大リーグでは、お金のある球団だけが勝ちすぎると業界全体の人気が落ちるので、チーム力を平均化するために作られた制度のはずなのに、日本では巨人軍が逆指名制度をゴリ押しして、ドラフトを有名無実化し、近鉄バファローズの経営難を理由に1リーグ10球団と縮小化を図りました。

 米大リーグは逆でした。球団数を増やし、テレビ放映料はリーグ全体で交渉して平等に分け合い、金持ち球団はぜいたく税と言われる罰金を支払ってリーグ全体が潤うよう考えた結果、メジャーの総収入は1兆4000億円(2022年)となりました。

 対する日本は1500億から2000億円(非上場の会社があるため推定額)。球団数に差はありますが、一試合あたりの観客動員は日本の方が上です。巨人軍の地上波中継料だけに頼ったリーグ経営は、渡邉氏の死によって、ようやく大改革が可能になったと思います。

 結局、渡邉氏は優れた能力を自分の属する企業のためにだけ使い、大きく業界を育てる未来観がない人だったのではないでしょうか。

 追悼記事としては厳しすぎるかもしれませんが、独裁者としてふるまい、隠然たる権力を持ち続けた人物であるからこそ、厳しい総括が必要だと考え、あえて書きました。もちろん、お世話になった記事への恩義は忘れているわけではありません。

(元週刊文春・月刊文藝春秋編集長 木俣正剛)