かつて芸術大学や音楽大学で音楽を専攻する学生といえば、3歳、4歳の頃からピアノを習い、高校は「音高出身」――。それが最低限の条件という時代が長く続いたものだった。
関東では“藝高”の略称で知られる東京藝術大学音楽学部附属音楽高校(東京都台東区)をはじめ、「三音大(桐朋、東京、国立の関東にある3つの私立の音楽大学)」の系列となる音楽高校。関西なら“堀音”こと、京都市立京都堀川音楽高校(京都市中京区、旧京都市立堀川高校音楽課程)、大倉が生まれ育った兵庫県であれば“県西”こと、兵庫県立西宮高校音楽科(兵庫県西宮市)といったところがよく知られたところだ。
勢い、これら“音高出身”者は、どうしてもそのカリキュラムが音楽に寄せたそれであることから、音楽大学に進学する頃には圧倒的な音楽的実力を身に着けてくる。音大では、どうしても大倉のような“普通科高出身”は大きく水を開けられている。その差は努力を重ね掛けしたところで埋めようがない。
ビリで入学して卒業時はトップに
スポーツカーにも似た人生
「正直、エンツ(大倉)は、入学時の技量はあまり……。順位は後ろから数えた方が早かったです。でも、学部を出て大学院に合格。大学院を出るときには首席でした――」
ビリからトップへ。スターはとことん魅せるものである。6年の歳月をかけて並み居る“音高出身”を押さえ、大倉はトップへと踊り出る。周囲の声によると、圧倒的な差をつけてだそうだ。
それはまさに、大倉の通り名であるエンツ、エンツォ・フェラーリが世に出した数多のフェラーリ各車や、今回大倉が試乗したZといった「走るための車」であるスポーツカーが、最初こそ後方の位置につけていても、後から追い上げていくさまを連想させる。
大倉が名門「京芸」のピアノ専攻にて席次を追い上げていくさまもそうだった。例えて言うならば「圧倒的な力で軽く周囲を抜き去っていく」ようなものだったという。
涼し気な顔でふと気がつけば後ろから猛烈に追い上げていき、最後の最後でトップを走っていたというのが、大学同期生たちの一致した声だ。