改革はパフォーマンス優先で
肝心の保体審の支配構造は手付かずの声
すると、それまで記者会見などでお互いをかばい合ってきた林執行部が仲間割れを始める。理事長の林はそれまで「適切に対応してきた」と会見で開き直ってきた対応から一転、調査に当たった前副学長の澤田康広を理事会などから締め出した揚げ句、クビにした。片や澤田は林を相手取って損害賠償請求訴訟に踏み切る始末なのである。
大学の首脳同士がそんなありさまだから、現場の幹部職員たちも推して知るべしだった。アメフト部では、事件発覚の1年前にすでに大麻の使用を名乗り出た部員がいた。にもかかわらず、警察に相談してアドバイスを受けたとうそを言い、事件を封じ込めたのである。その隠蔽体質は目を覆うばかりだった。
一連の事件隠蔽を画策した張本人の一人が運動部を所管する競技スポーツ部長の井上だったのだ。事件発覚後、井上は当然部長から歯学部の事務局次長に降格された。ところが、そのA級戦犯が年明けの元旦人事で復権、次長から事務局長に出世したのだから学内が騒然としたのは無理もない。日大OBが憤る。
「日大では大学本部の保体審(保健体育審議会)が、大学の看板となるメジャー運動部を管理、統治してきました。運動部が大学職員の主流であり、それはいわば戦後、日大の伝統として引き継がれてきました。相撲部出身の田中英壽をはじめ歴代の理事長や総長がそれを利用して大学を牛耳ってきたといえます。だが、田中理事長時代の18年、アメフト部が反則タックル事件を引き起こし、管理監督問題が世間の批判の的にされた。結果、保体審が競技スポーツ部に衣替えしましたが、結局、その支配構造は変わっていません。林体制になってからもそこには手を付けていません」
田中支配の脱却を唱え、大学改革を担って理事長に就任したのが林真理子だったが、肝心のところには目もくれなかったようだ。OBが続ける。
「林さんは友人知人を理事に招いて理事会を構成し、彼らに大学運営を任せてきましたが、しょせんは日大のことが分かっていません。いわば大学改革という名のパフォーマンス優先、肝心な部分が抜け落ちてきました。その象徴が運動部の管理体制でしょう。換言すると、田中体制を引き継いだ林理事長は改革を放置したともいえるのです。その責任は大きいでしょう」
林真理子は今年7月、理事長に就任してから丸3年を迎える。もはや田中時代の負の遺産という言い訳も通用しない。いったいなぜこんな人事がまかり通ったのか。先の幹部職員は手厳しい。
「今度の井上氏の歯学部事務局長への出世について、本部では井上氏が競技スポーツ部長としてアメフト部の薬物対応を執行部のせいにせず、罪をかぶったからだとも伝えられています。林理事長には、村井一吉前常務理事(現顧問)をはじめ“四人組”といわれる本部執行部の親衛隊がいます。井上氏は、四人組に部員の自白後大麻の存在を伝えていないといい、彼らを守った。その論功行賞として今度の人事が行われたという説です。真偽は分かりませんが、どちらにせよ林理事長、あるいは篠塚力常務理事が承諾しなければできない人事ですから、そういわれても仕方ないのでは」
井上はいわば泥をかぶり、汚れ役を引き受けたから復権できたということになる。だが、それにしても早過ぎないか。
実は元旦人事では、ひそかにもう一つの人事も話題になっている。それが田中元理事長の夫人のお気に入りだった医学部の幹部職員だ。『魔窟』でも田中夫人の薬の運び屋と書いた人物で、田中失脚後、医学部特任事務長として閉塞させられていた。それが今度の人事で本部財務部の特任事務長に栄転した。日本一のマンモス大学は今年もまた揺れ動きそうである。(敬称略)