受験は人を成長させる
――少し話を変えますが、西大和学園は東大志願者・東大進学者数がかなり多いと思います。卒業生に話を聞いても、『ドラゴン桜』じゃないけれど、『東大に行け』と言われたという人が多いです。こうした指導の仕方について、どのようにお考えですか?
辻:『東大という大学の良し悪し』や、『京大じゃダメなのか?』みたいな議論は一旦隅に置いたとして、自分は、その子が目指せる中での最高の挑戦をさせたいと考えています。
もし仮に、その生徒がマックスで目指せるところが神戸大学なのであれば、神戸大学を目指せばいいと思います。逆に言えば、大学受験において、その子にとっての志望大学が、『ここなら行ける』『まあ8割くらいの確率で合格だろう』というところを目指してほしくはないんですよね。
――受験を、学歴を得るためのものとして定義するのではなく、人間的成長を得るためのものとして捉えているということですね。
辻:そうです。受験は人間を成長させます。大変な挑戦かもしれませんが、人生を賭けて受験に挑んだとき、その経験をした中だからこそ見えるものがあると思います。自分の強みや弱み、自分の価値観など、自分の在り方を理解するのが受験だと思います。挑戦する中でこそ、生き方が見えていくんです。
――でも、元々頭が良くて、簡単に東大に合格してしまうような、受験で苦労しない生徒もいるのではないか、という考え方もあると思うのですが、そこはどうお考えでしょうか?
辻:それはおっしゃる通りだと思います。ですから実は今、西大和学園では、『東大が挑戦にならない程学力の高い子』たちに向けて、海外大進学プロジェクトを立ち上げています。東大に合格できてしまう子は、オックスフォード大学とかハーバード大学とか、東大よりも難しい挑戦をしてもらいたいと考えています。
なんのために勉強するのか?
――なるほど、そうだったんですね。少し話題を変えて、御上先生1話では『みんな、どんな思いで今受験勉強をしてる? 過酷な……過酷すぎる競争に勝ち抜いてようやく掴み取った人生が、『上級国民』でほんとにいいの?』という問いがあります。この言葉の通り、現行の学校教育では、『なんのために勉強するのか』ということがあまり言葉になっていないのではないか、という考え方があると思います。勉強する意味について、どのように考えていますか?
辻:いくつかその質問に対する回答はありますが、まず私が教えている古文について。
古文を勉強することは、「自分の在り方」を理解することだと思っています。古文の文章には行間がとても多く、いろんなことを想像しながら、自分で補いながら読まなければなりません。これは、細かい説明が多い現代の文章とは大きく異なる点です。そして、行間が多いからこそ、自分の経験したことを踏まえて考えたときに、読むタイミングや読み方によって、同じ文章が違って見えてきます。
そしてその中で、自分の価値観がわかってきます。平家物語の登場人物に感情移入することもあれば、源氏物語の登場人物に想いを馳せてもいい。抽象化された物語のどんな生き方に感情を動かされるのか、そしてなぜ動かされたかということを考えること、それこそが自分の在り方に向き合うということだと思います。