萩本は、パジャマ党やサラダ党(編集部注/萩本が抱えていた若手の放送作家集団)を養成するだけでなく、自ら番組の企画・構成を手がけるようになっていた。「視聴率100%男」時代の番組の企画や構成のところには、「秋房子」という名前がある。放送作家としての萩本のペンネームである。「あきふさし」と読むのだが、パッと見には女性かと思ってしまうところがいかにも萩本らしい洒落っ気だ。それはさておき、文字通りテレビを「つくるひと」にもなっていたわけである。

 サラダ党のメンバーのひとりに、君塚良一がいる。「冬彦さんブーム」を巻き起こした『ずっとあなたが好きだった』(TBS系)や、織田裕二主演で大ヒットした刑事ドラマ『踊る大捜査線』(フジテレビ系)の脚本家として有名だ。だがテレビ業界に足を踏み入れたのは、萩本欽一への弟子入りがきっかけだった。

 君塚良一は1958年生まれ。映画の脚本家志望だった。大学を卒業しても就職せず脚本を書き続けるつもりでいたのだが、「遊んでいた方がいいよ。部屋で脚本を書き続けるより」と言って指導教授が紹介してくれたのが萩本欽一だった(君塚良一『テレビ大捜査線』講談社、2001年、79~80頁)。

 その頃すでに萩本は欽ちゃん番組をヒットさせ、誰もが知る存在。だが君塚のやりたいのはドラマであって、お笑いではない。気乗りしないまま教授の名刺を手に萩本の元を訪れた。

 応接室にパジャマ姿で現れた萩本に緊張しながらも、自分はドラマの脚本を書きたいのだと君塚は正直に伝えた。当然不合格だろう。そう思ったとき、萩本は静かな目でこう言った。「うちは、お笑いとかドラマじゃなく、テレビを作ってるんだよ」(同書、81~82頁)。

 そしてこう続けた。「テレビっていうのは、ジャンルでものを作ってないの。テレビはテレビなの。だってそうでしょ。野球中継だって、ニュースだってテレビは流すんだよ。そういう全部ひっくるめたものをテレビと言います」。またこうも言った。「そのうちさ、ドラマだお笑いだなんて分けることなくなっちゃうよ。ドラマと笑いがくっついた番組がいっぱいできるような時代が来るから」(同書、82~83頁)。