カール5世の即位により、ハプスブルク家はオーストリア、ネーデルラント(今日のベネルクス3国)、スペイン、イタリアを継承しました。
ハプスブルク家は代々ヨーロッパの諸王侯との婚姻政策を進めており、その蓄積の結果、カール5世は広大な領土を継承するに至ります。次の家系図を見てください。
![【大人の教養】ハプスブルク家の結婚政策を「1枚の図」で語る!](https://dol.ismcdn.jp/mwimgs/3/1/600/img_3138cc3781a6b4a1a8f0f05bde614a1c100339.jpg)
また、カール5世は神聖ローマ皇帝に即位する前からマゼランなどの航海事業を支援しており、新大陸にも広大な植民地を得ます。
カール5世は皇帝即位37年目に退位し、このとき自身の広大な領土を分割して相続させます。まず長男フェリペ2世(在位1556~1598)にはスペイン、ネーデルラント、新大陸などを継承させ、一方で弟のフェルディナント1世(在位1531~1564、前期はカール5世との共同統治)には神聖ローマ皇帝位とオーストリアなどの所領を継承させました。
これによりハプスブルク家は、フェリペ2世の系統である「スペイン・ハプスブルク家」と、フェルディナント1世の系統である「オーストリア・ハプスブルク家」に分かれることになるのです。次の当時のヨーロッパ地図を見てください。
![【大人の教養】ハプスブルク家の結婚政策を「1枚の図」で語る!](https://dol.ismcdn.jp/mwimgs/0/0/600/img_00b5007085753a91b3a971f5ec03c333312060.jpg)
このフェリペ2世の治世に、スペインは黄金時代を迎えたとされます。フェリペ2世は父カール5世からスペイン本国の他、イタリアや新大陸の領土も継承し、また隣国ポルトガルで王家が断絶すると、フェリペ2世は自身の母がポルトガル王女であったことからポルトガル王位も兼ねます。
こうして広大な同君連合体(1人の君主ないし1組の夫婦が複数の国家の君主を兼ねる)が現出し、これは「イベリア連合」と呼ばれます。この結果、フェリペ2世はポルトガルのアジア領土(インドのゴアや東南アジアのモルッカ諸島など)もその支配下に置きます。フェリペ2世の支配域はちょうど地球を一周する範囲に及んだことから、「太陽の沈まぬ国」と称されます。
(本原稿は『地図で学ぶ 世界史「再入門」』の一部抜粋・編集を行ったものです)