【大人の教養】ハプスブルク家の結婚政策を「1枚の図」で語る!
「地図を読み解き、歴史を深読みしよう」
人類の歴史は、交易、外交、戦争などの交流を重ねるうちに紡がれてきました。しかし、その移動や交流を、文字だけでイメージするのは困難です。地図を活用すれば、文字や年表だけでは捉えにくい歴史の背景や構造が鮮明に浮かび上がります。
本連載は、政治、経済、貿易、宗教、戦争など、多岐にわたる人類の営みを、地図や図解を用いて解説するものです。地図で世界史を学び直すことで、経済ニュースや国際情勢の理解が深まり、現代社会を読み解く基礎教養も身につきます。著者は代々木ゼミナールの世界史講師の伊藤敏氏。黒板にフリーハンドで描かれる正確無比な地図に魅了される受験生も多い。近刊『地図で学ぶ 世界史「再入門」』の著者でもある。
なぜハプスブルク家は大帝国を作れたのか?
16世紀前半、ヨーロッパ史上稀に見る大帝国が出現します。
直接の契機は1519年のローマ王(神聖ローマ皇帝)選挙にありました。中近世のドイツ国家である神聖ローマ帝国の皇帝は、諸侯選挙により選出される慣例となっていました。当時、神聖ローマ帝国はフランス王国とイタリア戦争(1494~1559)という大戦争のさなかで、このときフランス王フランソワ1世(在位1515~1547)は外国君主でありながら皇帝選挙に立候補し、戦況を優位に導こうと目論みます。
これに対し、15世紀より神聖ローマ皇帝位を実質的に世襲していたハプスブルク家からもまた、対立候補が出馬します。それが、当時のスペイン国王カルロス1世だったのです(在位1516~1556)。
カルロス1世はすでにスペインの君主でしたが、この年に没した神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の直系の孫にあたり、ハプスブルク家は他に妥当な候補を欠いていたのです。
結果は、ドイツで最大規模の銀行一族であるフッガー家から融資を受け、その資金力を背景に選帝侯(皇帝選挙権をもつ聖俗諸侯)を買収したカルロス1世が選挙を制しました。こうして、19歳のカルロス1世はローマ王(のち神聖ローマ皇帝)に即位し、皇帝としては「カール5世」と呼ばれます。このカール5世の即位により、歴史が大きく動きます。具体的に見ていきましょう。