【歴史に学ぶ】保護貿易が戦争を招く!? そのシンプルな理由
「地図を読み解き、歴史を深読みしよう」
人類の歴史は、交易、外交、戦争などの交流を重ねるうちに紡がれてきました。しかし、その移動や交流を、文字だけでイメージするのは困難です。地図を活用すれば、文字や年表だけでは捉えにくい歴史の背景や構造が鮮明に浮かび上がります。
本連載は、政治、経済、貿易、宗教、戦争など、多岐にわたる人類の営みを、地図や図解を用いて解説するものです。地図で世界史を学び直すことで、経済ニュースや国際情勢の理解が深まり、現代社会を読み解く基礎教養も身につきます。著者は代々木ゼミナールの世界史講師の伊藤敏氏。黒板にフリーハンドで描かれる正確無比な地図に魅了される受験生も多い。近刊『地図で学ぶ 世界史「再入門」』の著者でもある。

【歴史に学ぶ】保護貿易が戦争を招く!? そのシンプルな理由Photo: Adobe Stock

なぜ保護貿易がきっかけで、戦争が起こったのか?

 近世のヨーロッパ諸国は次第に軍事国家へと変貌していきますが、軍隊(常備軍)を支える膨大な軍事費の捻出が問題となります。中心となる財源といえば租税ですが、これに加え国際貿易により利益を追求しようという発想が登場します。それが、重商主義です。

 重商主義とは、貿易差額の最大化を目指す考えで、貿易差額とは輸出額から輸入額を引いた差額のことです。いわば、輸出額(売る≒利益)をあらんかぎり膨らませ、輸入額(買う≒損)をなるべく最小限にしよう、ということですね。

 とりわけ輸入額を最小にする手段として、一番単純なのは「貿易停止」です。しかし、これは当然ながら相手国の不満を誘い、戦争が勃発する危険性も高いです。その典型が、1651年の航海条例(航海法)です。

 これは、当時のイングランド共和政府(コモンウェルス)が、外国船に対し、イングランドとその植民地への寄港の一切を禁じたものです。

 その頃、対岸のオランダは中継地として世界各地の港を利用し、ほぼ一方的に貿易の利益を享受していました。航海条例は外国船の寄港を禁じることで、国内産業の育成も視野に入れたものでしたが、オランダの最大の寄港地がイングランドだったこともあり、オランダは激しく反発。第1次英蘭戦争が勃発します(1652 ~ 1664)。

 したがって、ごく一般的には、「高率の関税を輸入品に課す」ことが見られました。貿易停止にしろ、関税の課税にしろ、輸入品の抑制は国内産業の活性化を促す目的もあります。このため、こうした政策は「保護貿易」と呼ばれ、対して関税などを排して貿易の活性化を図ることを「自由貿易」と呼びます。

(本原稿は『地図で学ぶ 世界史「再入門」』の一部抜粋・編集を行ったものです)