別の人格になりきることで
冒険が始まる

 後で気づいたことだが、僕が「WoW」にここまで夢中になったのは、このゲームの基本的な仕組み自体が特別に面白いからではなかった。このゲームに引き込まれたのは、それをプレイすることが現実逃避になっていたからだった。

「WoW」の生き生きとした世界では、プレイヤーは魔法の呪文でゾンビの大群を倒したり、手なずけたドラゴンの背中に乗って飛び回ったりできる。何より、そこでは好きなキャラクターに扮することができる。「WoW」をしているあいだ、僕はスポーツが苦手で自分に自信のない、ちょっとオタクっぽい中学生のアリ・アブダールでいなくてもいい。そこでは僕はいつも、背が高くてハンサムなブラッドエルフ・ウォーロックであり、紫のローブをなびかせ、悪魔の軍団を従えているキャラクター、セファロスだった。

 人は遊んでいるとき、ゲームのキャラクターに扮したり、友人と架空の場面を演じたりと、様々な役割や人格を演じられる。何らかのキャラクターになりきるとき、僕たちは自分の内側にある様々な側面を表現でき、その経験をもっと楽しいものに変えられる。別の人格になりきることで、冒険が始まるのだ。

 これはそれほど突飛なことではない。「キャラクター」を選ぶことは、一夜にして性格を変えること(あるいは、同僚の前で「WoW」のキャラクター、ゴブリンになりきること)ではない。自分にとって一番しっくりくる遊びのタイプを見極めて、それを体現するプレイヤーを選ぶことなのだ。

 臨床心理学者のスチュアート・ブラウンは、そのキャリアの大半を遊びの研究に費やしてきた。遊びが患者に及ぼす変容の効果を目の当たりにしたことをきっかけに遊びの効用についての研究を始めたブラウンは、やがて「National Institute for Play(国立遊び研究所)」を設立し、カリフォルニア大学サンディエゴ校の精神医学の教授になった。この間、芸術家からトラック運転手、ノーベル賞受賞者まで、多種多様な職業の5000人以上の人々に、遊びとは何かについて話を聞いた。