山一證券破綻で最も釈然としないのは、その処理の仕方、すなわちなぜ自主廃業が選択されたのかという点である。

 まず、事実関係を整理してみたい。

(1)大蔵省証券局では当初、1960年代半ばの「証券不況」時の連想からか、日銀特融(編集部注/経営が危うい、もしくは破綻してしまった民間の金融機関に対して、日本銀行が行う特別融資のこと)による山一救済を期待していたと思われる。大蔵省は日銀に山一證券向け特融を要望した。しかし、日銀サイドの予期せぬ反発にあい、救済案が進まなくなった。

 1998年4月の山一證券社内調査報告書によると、「11月14日(金)に山一證券の野澤正平社長が大蔵省に長野厖士証券局長を訪ね、山一に2600億円の含み損があること、会社再建に対する富士銀行の反応と、資金繰りが窮していること等を報告した。長野証券局長は『もっと早く来ると思っていました。話はよくわかりました。三洋証券(編集部注/バブル期の積極経営が仇となり97年11月3日に倒産)とは違いますのでバックアップしましょう』などと述べた」とされている。

最後のカード・自主廃業が
最悪のスキームである理由

 長野証券局長の発言は日銀特融が受けられるとの期待が前提となっているように思われる。この段階では、長野証券局長は日銀特融による山一救済をイメージしていたのではないか。

(2)大蔵省長野証券局長は11月17日、本間忠世日銀理事に特融を要請した。しかし、本間理事は、「不正行為があるところを特融で救うなどできるはずがない」と相手にしなかった。

(3)日銀サイドの予期せぬ反発にあい、長野局長は特融による救済は困難との気持ちに傾いたとみられる。17日の局議で、長野証券局長は本間理事への電話後、「救済が無理なら三洋証券のように会社更生法は使えないだろうか」と質問。局員は、「規模が大きく、違法行為もあるので地裁は受け付けないだろう」と答えた。

(4)後日、山一の弁護士団は裁判所から、会社更生法は否との非公式見解を受けている。

(5)破産申請もメニューのひとつではあるが、清算型であり、マーケットへの悪影響が大きい。山一證券の弁護士団も長野証券局長に破産は使えないか確認したところ、同局長は顧客資産の保全が取れないとして却下した。